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一週間前の出来事です。
とにもかくにも、おめでとうございます。中村龍太郎選手
何かいいなぁ、もっと見てみたいと思いました。わずか4秒だけど、上回ったのは人間力なんだろうなぁ。機材じゃ無い。
でも、こんな選手がプロにならない選択をしないといけないという事情という功罪。
あるいは、それを自ら選択しないという意味。
全日本選手権個人タイムトライアル2015エリート男子「社会人でもプロに勝てた」 サラリーマンレーサーの中村龍太郎が全日本TT王者に
よく、「社会人レーサーの方がいいよね」なんていう意見もあります。好きな機材も使えるしとか、負けても怒られませんしとか。中途半端に機材提供受けていても「アマチュアですから」と言えますしね。一方では「社会人でも頑張っている」と言われます。
あくまでも個人的見解ですが、今のプロという厳しい世界に自分を追い込んだ人達をもう少しリスペクトする社会と文化があっても良いのではないかと思います。「いや、そういう厳しい世界がプロだろう」と言うかも知れませんが、それはちょっと違うなぁと私は思うわけです。
若いときはプロを目指したり、半分くらいはそんな立場だったりしは人達が、今は働きながらその時に養った畑にもう一度種を蒔いているというのが、今の社会人レーサーの上の方の人達ですよね。つまり、プロになれなかった人達。でも、自転車っていう運動が何を基盤にして強くなるか知っていれば、そこそこやれるのは当然とも言えるでしょう。それに普通に働いている方が社会的にも盤石ですから安心して走れます。
それに、いざ仕事になると楽しくなくなるってありませんか?遊んでる気持ちの時の方が結果が出た、とか。だからと言ってプロが負ける理由にはなりませんが、自転車をいじれる人と自転車屋の違いに近い部分もあるかな、と。
私はアマチュアリズムが好きではないので、プロに勝てた!という言葉尻をキャッチにしてニュースを書くのもいかがなものかと思います。書いた人は負けたプロを内容的にもプロとして認めると???
アマチュアとしてスポーツという娯楽を続けられる人達とも言えるので、ある意味貴族主義的な側面もあるのではないか、と。
アマチュアスポーツの方が純粋にスポーツであって、非営利的。一方プロスポーツは観客を楽しませる為のパーツでしかないわけですし、パーツとしての寿命はアマチュアスポーツ選手であり続けるより圧倒的に短いでしょう。パーツとして使えなくなれば、棄てられます。
それでも尚、負けられないプロ選手という道を選択した人を僕は応援したいと思います。
また、”ホンモノのプロ”を目指す若者達を応援したいと思います。
あの当日のフィーバーを見つつ、モヤモヤしてたコトを吐き出してみました。
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