なんでも選べる不自由さ

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時に、なんでも選べることは不自由だったりします。

何でも手に入る、沢山ある中からいろいろ選べるというのは便利なようで不便でもあります。情報もあればあるだけ良いのかと言えば、違うでしょう。

そこから選択することが出来なければ、選択肢というのは進歩を遅らせたり、無駄に迷わせたりもします。

まずは真ん中から使ってみると良いと思います。

時にそれは基本だったり、基礎だったり、あるいは単純なシステムだったり。

例えばカメラのフォーカスポイント。沢山あれば便利なようで、まずは真ん中に固定して使えないことには9点あっても11点で使いこなすのは難しいでしょう。

これしかないと知ることで、自分がなんとかしよう、使おうと思うものです。

機材を使う趣味・スポーツはそこが難しいと思います。

だから、私は10速でも11速でも全然気にしないでいいと思いますし、105でもアルテグラでもどちらでも良いと思います。目的が決まっていない人=初心者なのですが、日本人はそういう機材論が大好き。メディアもそんな記事ばかり書きます。

ただ、目的がはっきりしている人は「その目的に必要な”機材”を手に入れる」ようにして下さい。

野球するのにスパイクは必須。サイクルスポーツそれぞれにも必要な物はあります。

写真もデータに惑わされるがゆえ、撮りたいものが撮れていないのかも知れないなと思いました。あ、これは自分の写真を見て振り返って、です(笑)

何が写っているものを見ず、データや機材ばかり気にしてしまうクセがつくと良くない気がしました。どのレンズか、焦点距離がいくつか、露出がどうか、それってそこまで大事なのでしょうか?まずは撮ってから考えても遅くはないと思います。

自転車を見ても、どこの自転車に乗っているか、タイヤは何か、サドルは?ハンドルは?ということって、まず最初にあるべきではないはずなんです。

まずは今履いている靴で山に登ってみて、山に登る楽しみを発見して、足りないことを実感してから靴を新しくしても遅くはないはずですよ。

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