相撲道

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自転車を考える上では自転車以外の事を見たほうが勉強になります。

最近の白鵬の相撲を丁寧に批判する。
能町みね子が「最強」に望むこと。(Number)

http://number.bunshun.jp/articles/-/825711

またもやNumber。

私は能町みね子さんの見た目がすご~く苦手です(笑)

意図してインパクトありすぎる人は話の中身に集中できないのを、わざと狙っている気がするのです!実際にあったらすごく話しにくい…はず。

でも、文章だけなら飲み込めます。

私の解釈では、やはり外国で活躍する場合、その負けん気によって勝ち進むケースと、共存するケースが有って、白鳳も朝青竜も前者だろうと思います。琴欧州なんかは後者。日本人の場合には適応を目指すので前者を理解するのは難しい。

前者の場合、”勝つこと”こそ最大の防御であってATフィールド、それは本人の人間性を守る上でもキーになっていると思われるので、負けてしまうことは存在意義を自分自ら認められないことになる。ゆえ、勝ちにこだわる。その姿勢がそもそも”相撲道ではない”のか、あるいは?横綱とは勝ち続けるものだとするなら?

私は勝ち負けが大事なのか、そうではないことが大事なのか、ちゃんとはっきりさせて、選手評価(力士だけど)の客観的尺度を明確化すべきだと思います。つまり、協会の理事や会長が決めればいいでしょう。

チームなら監督がうちのチームにはこういう選手がほしい!と決めるのですから、それに従うべきです。またファンの評価軸も気にして監督が采配するか、そうではなく持論を貫いてファンを従わせるかはそれも自由です。

ただ、国民多くの総意としては”横綱は横綱であるべき”だということは崩れないと思うので、結局は両方いるわけですが、まず道ありきと考えるのに対して、”とにかく勝つ”を優先的に思考する人がいればそれは強いだろうなぁと思います。

これって選手の思考ですね。

さて、自転車ではどうすべきでしょうね。

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