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昨夜のパーティで私がした質問とその答えです。
もっと突っ込んで聞けよーと思うかも知れませんが、このあたりが限界です(笑)
まずはコープランドGMへ
私:あなたがかつて所属していたNIPPOのデータを見ていたら、その役割が”マッサージャー”となっていたのですが、あれは本当ですか?
コープランドGM:そう、その通り。私はマッサーだった。そこにいるマサミチ(山本雅道)と一緒だったよ。
南アフリカで生まれたブレント・コープランドはナショナルチームに選ばれるなどして頭角を現したあと、94年にルガーノへ移住。そこでプロを目指します。VCルガーノで走る中で当時交流のあった日本舗道のマッサーとしてTOJの際に来日し、国際的なレースに触れるチャンスを学びました。
私:私はオンドレイ・チンク選手のファンなんですが、彼の膝は良くなりましたか?
コープランドGM:彼はツールを走ったあとで膝を痛めたんだが、良くなってきているよ。でも、マウンテンバイクに戻ることを決めたと先週発表した。私には彼の行動は理解できないが、ロードよりマウンテンバイクの方が好きらしい。ゆっくり成長しても、すごくいい選手になると思っていたんだけどね、何故なのか本当に分からないんだ。
これにはびっくりでした。まさか、です。パーティーからの帰り道、チンク本人からSNSでの発表がありました。
私:2017年シーズンのツール・ド・フランスでバーレーン・メリダは何がしたかったんですか?やはり、エースのリタイヤが全てでしたか?
コープランドGM:そう、ヨン・イサギレのリタイヤが全てだった。我々はチーム一年目だから、まだうまく働かない状態もある。その中でエースを失った直後はまさに”頭を失ったニワトリ”のようだった(つまり、どこに行くかわからないの意味)。そうでなくても多くの故障者を出していたので、まずはチームを落ち着かせるように試みたんだ。そして、シーズン後半に備えて体力を温存し、チームを立て直す事に力を注ぐことにした。
私:我々日本人は皆テレビの前で「もっと新城を使えよ!」とあなたに届くように叫んでいたのですが(笑)
コープランドGM:彼はとても良いライダーなんだけれど、とにかくあの場での役割はまずチームをまとめることだった。その中では彼のようなベテランの存在は大変重要だった。すごくいい仕事をしてくれたと評価している。
私:なるほど、そうだったのですね。2018年シーズンには幾人かのライダーが新しく加わりますよね?
コープランドGM:そうだ、ポッツォヴィーヴォ、モホリッチ、ゴルカ・イサギレ、コレン、パドゥン、そしてMTBライダーのシュタイナーの6人が加わるし、ハウッスラーやナヴァルダスカスなどの故障者も回復している。
私:わかりました、来期に期待しています。ヴィンチェンツォは来期ジロをスキップしてツールを狙う可能性は?
コープランドGM:それはまだわからない。今夜ツールのコース発表があるから、それを見てから考えることになるだろう。それから、アントニオは今シーズンの新たな発見だったんだ。スロンゴ監督からオファーを受けた時には特に肯定的ではなかったんだけれど、ブエルタでもよく走ったし、来年もどこかのグランツールで使っていく予定だ。
私:イタリアの新聞によるインタビューでヴィンチェンツォは「フルームはアシストがいてこそ勝った。それがなければ4度も優勝しなかっただろう。」と言っていました。
コープランドGM:そう、それは事実だ。SKYはエースが4人もいるくらい豪華な布陣で望んでくる。選手の実力としてヴィンチェンツォの方が劣るということではない。
私:ありがとうございました。来シーズンはより大きな活躍を期待しています。
続いて、ニバリ選手(兄)へ
私:あなたが自転車を始めたのは9歳の頃だと聞いています。そこから自転車しか乗っていないくらいの生活だということですが、あなたの才能を見出したのは一体誰だったんですか?
ヴィンチェンツォ:それは父です。父はアマチュア選手として走っていたんだけど、自転車を買ってくれたんだ。その後、シチリアからトスカーナで共同生活を始めた。
私:それは1人でですか?
ヴィンチェンツォ:そう、1人だよ。18歳の時だった。
私:私が知る限りでは、イタリアではU23の内に大きな成績を上げてプロにならないと後がないということですが、移住先のチームでは多くのライバルがいて勝ち上がってきたのでしょうか?また、親元を離れて暮らすそれは大きなプレッシャーだったのではありませんか?
ヴィンチェンツォ:いや、チームは家族のようで一緒に暮らしていました。だから、そういうことは無かったと思います。それにプレッシャーは常にありますし、問題はありません。
実はヴィンチェンツォと話す前に、マルコさんとお話ししました。マルコ・ファヴァッロさんはCyclistでもコラムをお持ちなのでご存じの方も多いと思います。私はイタリアの人の出身に因っての差異を察したかったのです。つまり、シチリア出身であることが彼のレース人生や性格にどのような影響を与えたのだろうと知りたかった。マルコさんはパドヴァの出身。パドヴァはヴェネツィアの隣にあります。「この前始めてシチリアに行ったんですよ!」「え!?はじめて?観光で?」びっくりですけど、まあそんなもんですよね(笑)私だって日本中旅行出てませんから。その感想は「とにかく辛かった…(笑)」「(また)え!?」「とにかく舗装が悪くて、そして暑い!」
マルコさん曰く、「きっと彼はアフリカ系の血が流れているんではないかと思う。自転車ではフルームもそうだけど、きっとそういう環境から来たのでは無いかと思う。」
なるほど、やはり厳しい環境下で育ったことでヴィンチェンツォは常に挑戦することを覚え、それが好きになったのでしょうか。負けず嫌いな気もするなと、会う直前に読んだイタリアの新聞インタビュー記事からも察したのですが、その通りかもしれないなと思いました。
私:あなたは全てのグランツールでの総合優勝を達成しましたね。それは、アンクティル、ジモンディ、メルクス、イノー、コンタドールに続き、世界で6人しかいない偉業です。そして、33歳の今から何を目標にしているんでしょうか?
ヴィンチェンツォ:それはよく聞かれる質問です。私は何かに挑戦することがとても好きで、それをし続けてきました。だから、これからもそれをし続けるでしょう。
私:ありがとうございます。来シーズンのさらなる活躍を期待しています。
まとめ
色々聞いてみて思ったこと。国籍は違えどイタリアで育ったお二人ですし、中身はイタリアンなチーム体制なので、その国での自転車選手の育成やその環境がどうなのだろうという片鱗を聞けたら良いなと思いました。
日本からイタリアを見る時、小中学生頃から本気でレースをしていて、チームがあって、そこから勝ち上がっていき、アンダーではまさに選抜されたイメージなのかと思っていたんですが、どうやら少々違いそうです。確かに強い選手ではあるわけですが、お二人ともアンダー一年目は全然使い物にならないと言っていました。だから、24歳で出来上がった選手になっている事が条件ではなく、その先の厳しい環境に耐えうる人材の発掘と、それらを一緒に乗り越えていく為の共同体の構成員としての資質を問うというところが実質なのではないかと思いました。
実際、アントニオにしてもプロになって3年目の26歳。プロ一年目のインタビューでは自分の脚質も理解していなければ、意識もしていなかった。つまり、多くの可能性を残している(選手自身の気持ちと精神力としても)ネオプロの1年目。だから、思い切った脚の使い方が出来るのに対して、日本の選手は後先ばかり考えてしまう。
正直言って、アントニオ程度の選手であれば日本から生むことは可能だと思いますし、今でもいると思います。では何が足りないのか?が問題のようです。
むしろ、プレッシャーが大きいのは日本の選手なのかも知れません。それは他のスポーツと同様に「海外へ行って、何も出来ずに帰ってきたら?」と期待する側・見る側・伝える側の姿勢がその原因の1つになっているのではないか?と思いました。
今回は大きな経験を積んだ選手と監督にガッツリ聞けたのでとても満足しました。大変良い機会を頂けたことに、重ねて感謝します。