東京自転車さんぽ 2020/5/12

この記事は約 2 分くらいで読めます

今回は人形町〜日本橋〜銀座です

日本橋は落ち着きますね。
もう発想が年寄りです笑

日本橋や京橋は落ち着くんですよ。お店もまだまだ専門店が多くて、老舗もあって、銀座とは全然違います。

特に和菓子なんかは充実していますね。


実は吉原は人形町にありました

和菓子ってのは高級な、あるいはちゃんとした感じがしますけど、和菓子があるところには花街があります。遊びに行くときに差し入れですね。だから、浅草、向島にもあるでしょう?

実は吉原はもともと今の人形町のあたりにあったのです。当時は芳町と呼ばれていました。芳町という町名は1977年まで存在していたのですが、隣の人形町と統合されて消えてしまいました。今の中央区日本橋人形町1・3丁目がそれにあたります。

吉原遊郭は「明暦の大火」で焼失。その後、今の場所に移りました。遊郭跡には中村座や市村座などの歌舞伎小屋や操り人形の小屋が建ち並び、この町に庶民文化が一気に花開いたのです。その人形芝居のための人形を作るところが多かったということで人形町。

そして、頭に「日本橋」がつく町名は、ほぼ全域が徳川家康が埋め立てた土地です。今の日本橋人形町は江戸初期はヨシの茂る湿地帯で、ここに1618年、市中に爆発的に増えていた遊女屋を封じ込める目的で、幕府公認の遊郭が作られました。この遊郭についた名前が「ヨシの原」で「吉原」。「芳町」の「芳」も、そのヨシに由来しています。まあ、江戸全域ほぼ湿地帯が至るところにあったわけで、そこを埋め立てることを前提に江戸として作った家康の読みの深さハンパではありません。

明治政府は徳川の時代の終わりを庶民に知らせるために、町名を変え、江戸城を皇居にし、江戸を東京へと作り変えました。

東京からは420年の歴史を感じにくいですが、よく見ればこのように東京には江戸の痕跡が残っています。

それらをEバイクで巡るのは楽しいですよ。