この記事は約 4 分くらいで読めます
あまりに暑いので、またもゴールはジェラート笑
とうとう暑さがやってきました、夏がやってまいりました。これまでは、特に4月の朝晩が涼しかったので、熱中症に気をつけないと。暑熱順化が捗らない2020年です。特に部屋の中に引きこもっている人は要注意です。
Eバイクで走ると、1時間あたり20−30枚くらいの写真を撮ることになるんですが、これもしフィルムだったらコストがすごいことになりますね。また、コンデジも出したり仕舞ったりが面倒ですし、ファイルのiPhone11ProMAXを仕事用に買ってよかったですよ。実はEバイクツーリズムのために買いましたので。
昨日はとても天気がよくて、日焼け止めがないと大変なダメージを負ってしまったでしょうね。日焼けはかなり体を披露させ、免疫力を大きく低下させますから、今般の事情を加味しますと、しっかり対策をしなければなりません。
日焼け止めにはアグレッシブデザインを使っています。相当な発汗量でも落ちませんし、効果が長続きします。
今回の注目どころは新川と麻布台です。いずれも「通ったことがあるかなぁ?」程度ですし、細かいところには用がないのでまず通りません。Eバイクはペダルバイクと違って、”目的地まで急ぐ”必要性に乏しくなります。ペダルバイクでは”ラクに早く着く”ことこそ正義ですから。しかし、Eバイクでは寄り道こそ正義。今まで目につかなかったものや目を配れなかったところにも行き届く自転車です。
ゆえ、ちょっと停まって写真を撮影したり、気になる箇所があれば引き返してみたりすることも容易にできます。それらはまるでストレスになりません。
新川の辺りは運河が多く、江戸時代にはこの辺りが海の玄関口でした。地図で見ますと、月島、晴海、豊洲がまるっきりない状態を想像頂くとよろしいかと思います。
江戸には多くの運河がありました。今ではその多くが埋め立てられてしまいましたが、1700年頃のアムステルダムやヴェネツィアと比べても運河都市としてはむしろ江戸のほうが格上だったようです。
大規模な運河や埋め立てなどの土木工事によって、江戸の初期に東京という街の原型ができたのですが、その期間僅かに半世紀。幕府ができた最初の大仕事にそれだけの技術があったこともわかりますが、それだけ短期にできたのは東京港は荒川や利根川から運ばれた砂泥が堆積し、海岸から4−5キロ離れてもなお、水深は2−4メートルほどという遠浅だったからです。
むしろ、その浅さは1859年に開港した横浜港に大きく遅れをとった原因であり、東京にしっかりと築港が整い始めたのは明治なってからです。
その意味でも東京は海から眺めるというのが実に楽しく、海岸線を追いかけてもまた楽しめる都市なのであります。
今回の秘密兵器?実に大活躍でした。ボトルケージサイズの魔法瓶です。 飲みやすく、冷たいものも温かいものも飲めます。必須ですね。 ん?こんなものあったかな? ここで藤原模型店を開業しようとしたのですが、目処が立たなくなったのだそうです。なので、看板を藤原豆腐店に改修し、展示物になっているのだそう… 芭蕉そば…ぜんじかっぱそばみたいなもんで、観光地のそば類はなんでもありです笑 新小名木川水門。小名木川と隅田川のジャンクションに位置しています。江戸初期、小名木四郎兵衛に命じて開削させてもので、市川の塩浜から塩を運ぶのにも使われました。 晴天と青いアーチがきれいです ここが江戸港開校の地。昭和11年までは伊豆7島へはここが玄関だったそうです この形状って霊岸島汽船発着所の一部ですかね? 新川は霊岸島とも呼ばれ、小名木川の開削や深川村の埋め立ての頃に埋め立てられ海辺新田となりました 鐵砲洲稲荷神社です。ミヤタサイクルはこの鉄砲洲で天保を作っていたのですが、英国人が持ち込んだ自転車を修理したことから自転車の製造販売をはじめたという歴史があります 南高橋。なんとこれ、旧両国橋だそうです。震災での被害が軽かったので、たくさんの橋を掛け替えないといけなかった東京市は予算削減のために3連トラスの真中部分を移設し、幅を狭めて掛けかえたのだそうです。都内最古の車が通るトラス橋となっています。 ひなたざかではなく、にゅうがざか。読み方は違いますが、場所はここです。 麻布永坂町の閑静な住宅街…デカすぎる… 突き当りにバスケゴール。道路ですけどね、ここ笑。異文化感すごいです。 ここは車が入れない潮見坂。坂名の由来は、坂上から芝浦の海辺一帯を見渡し、潮の干満を知ることができたためだそうです。 ゴールは先日も来ましたジェラート。今日はエスプレッソといちごみるくです!