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ぼくがわかりやすくない動画を出す理由
Youtube上には”わかりやすさ”を売りにした動画が沢山あると思います。キャプションや効果音をたくさん入れて、紋切り型の動画を作っておられる方は多くいらっしゃいます。Youtubeに来る方にそれが求められていることも理解していますし、そもそも”再生回数によって稼ぐ”というスタイルがあるのも理解はしています。つまり、スケールを目指して作る動画が多いわけです。それらは再生時間も短く、10分を超えると長いと思われるでしょう。
しかしながら、私はどちらも求めていません。私の動画は接客だと捉えています。あるお店では接客時間に対して、店長のような人は従業員に向かって、「長くなりすぎないように」と指導することでしょう。とにかく「カンタンに、早く売れ。売上を上げるんだ!」と。もちろん、それは必要な観念ですが、ぼくは本質的には間違っていると思っています。
ものを買うということは簡単に済ますべきではなく、主に買う側が(売る側も)納得した上で取引する必要があります。日用品のようなものではなく、趣味ものは特に、持続して使用して頂く、楽しみ続けて頂くことがとても大事です。それが振り返ってみたときのその商品や購入する行為の満足度を左右するのだと思います。
早く売るということは、その数が勝負であり、スケールを目指すYoutubeと同じです。ネット通販もある一定以上のスケールにならないとビジネスとしては成立しません。その中に不満足や没満足、あるいはクレームの類が一定の割合で入っているとしても気にしません。また、Youtubeは基本的に無料なので、その中にある知的情報もまたタダだと勘違いしてしまいがちです。
人間同士のコミュニケーションロスは短時間にわかり合おうとするから生まれるのであって、長時間一緒にいたり、多くの言葉を交わすほど、その関係性は良くなるし、わかりあえる範囲が広がるものです。人間同士は基本的にわかり会えない。しかしながら、多くの会話を交わすことにより、わかったかも知れない範囲を広げていく、それがコミュニケーションなのでしょう。もちろん、言葉や文脈が伝わらない相手というのはいて、その場合には何も有効なものは生まれないわけですが、それは仕方がありません笑。
動画ではカンタンに言う一方で、お店では小難しいというのは整合性の取れない話ですし、そのギャップを生むのに意味もないと思います。むしろ、長く話すこと≒難しいとされるのは”カンタンに説明することは正義だ”という派の感情論であって、説明する側が使う言葉や表現と、聞く側の理解力の問題、つまりは主張力と傾聴力の問題です。
ぼくの動画では、長い話から自分の中に理解できる部分を取り入れていただき、理解を深めていただくためのものです。また、動画を見たあとに来店頂くと、さらにその理解が身につくようにできていますし、ぼくの動画を見て他のお店に言っても、”まったく違うことを言われる可能性が高い”です笑。これはぼくの理解が特殊なのではなく、”実際に遊んでないとわからないことを言っているから”であり、まだまだ喋り足りないんですよ笑。
私は、私が話すことに興味を持ってくれた人と話したい
私の動画はそのための動画です。きっかけに過ぎません。3分でわかってもらおうとか、10分で売ってやろうとは思っていません。じっくり話して、じっくり使い続けていただき、2年後くらいに「あの時言っていたのってこれか…」と思い出して欲しい。ぼくはゆっくり理解したい人向けに売っています。
その意味で長く喋ることはとても大事だと思います。だから、ぼくの動画は長いですし、同じこと何度も言いますし、録画します。簡潔かつ簡易に「ロードレックスは〇〇です」ということは求められているようで、実は求められていないんだと思います。それを求める人は、買う行為に対して瞬間的な熱量だけを求める場合が多く、ほとんど自分の中での筋は決まっているんですね。だから、それに対して肯定的な意見だけど見たいし、それで熱量を高めて、通販で買ったりするんだと思います。
わかりやすく語るほど、そのことが持つ本質は伝わらず、誤解と取り違えばかり起こしてしまう。だから、私はわかりやすく説明することを諦めています。諦めざるを得ないとも言えます。それは”本当の使い方教えます”という上から目線ではなく、その人自身が主体的に使い方を想像し、ワクワクし、実行して楽しむということを望むから、実体験としてわかってほしいと思うからです。
そろそろLIVEしたいですね。今回のも本当はLIVEする予定だったんです。
私は、私の仕事に唯一コミットメントして頂ける方法である”当店で自転車を買って頂く”という行為のみを目指して動画をアップしております。