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観てきましたよ、ダミアン・ハーストの「桜」
まず、ぼくはアートに詳しくないし、まったくわかりません。それを自覚しているので、そんなぼくが、”自転車屋”であるぼくが、アートについて書くテクストに興味がなければ、読み飛ばして頂けるほうが良いと思います。
ただ、ブログにもSNSにも、いろいろなことを書くのは、人には多面性があるからで、それがその人の歴史だからで、それがコミュニケーションに役立ち、何かのインスピレーションとなって、結果として自転車で楽しく過ごして頂けると嬉しいというエゴがあるからですね。
自転車は乗って楽しいという側面もあるけれど、何かと何かを繋げるのも自転車だと思います。つまり、自転車は人を物理的に運ぶ道具なのです。ある場所へ連れて行って、何かの体験をさせる。それが自転車だと思います。だから、その運ばれる人が何を紡いだかにより、運ばれた先で感じることや思うことが変わってくるでしょう。それが旅です。だから、「自転車は旅である」というのは、ほんとうに正しくて、本質をついていると思います。
なぜ桜を描いたのか
桜を描いた絵画であることは観たとおりです。この展示は桜の開花時期にも開催されていたので、リアルな世界と重なった感覚を見る人に感じさせたのでしょう。しかしハーストはそもそも、生と死を表現する人ですから、ぼくはこの絵画の中にもそれがあるはずと考えてしまいます。
ぼくが行ったとき、他に観覧に来ている人は「よくこれだけ描いたねぇ」「私はこれがすきだな」「そこに立って?撮ってあげるよ」などと言っていました。その様子はまさにお花見であり、素直な見方だなとも思いました。絵画を撮影するのではなく、絵画をバックにした自分を撮る人が多くいました。それが間違っているというのではなく、そうなることも仕掛けの一つだろうと思います。彼らが撮っているのは絵画ではなく、自分たちですし、そういうことが起きている場がたしかに桜が咲くということでもあります。ぼくもじっと見ているうちに、白い壁の四方に飾られた桜は、まるで現実の桜並木のように感じたりもしたので、不思議だなと思いました。
本来の?ハーストの作品はかなりエグいものが多いのです。ぼくは全然平気なんですけど、観たらトラウマになるという人もいると思います。今回の「桜」だけ観た人で、全く死の部分を考えない人もいるわけです。単に「きれいだな」と言っている。だから、何を見せるかで売れるし、売り方ってそうだし、そういうことも感じましたね。まあ、ここでいう「死」なんてものについて、こうやって書くこと自体、きっとぼくを「この人は変な人だ、この店には行くのをやめよう」と思うきっかけにもなるでしょうからね笑。ただ、最初に書いたように、自転車は文化をつなぐものだとも思うので、そういうことまで感じてしまう自転車屋がいてもいいんじゃないかと思うわけです。
また「彼は絵画をバカにしているのでは?」とも思いましたし、シンプルに、描くことを楽しんでいるようにも思いました。同時に「こうすれば、まだまだ絵が売れるぞ」と言っているようでもあるのか?と。絵を描けない人が言っても説得力がありませんが、”そんなに難しい絵にはみえなかった”のです。日本に来ていないものを含めてぜんぶで107枚あるそうですが、まあ、アーティストなら描けるだろうとも思いました。そもそも、ハーストは絵画が上手くなく、画家を卑下してもいたわけで、その背景もよぎったりしました。油絵をあーだこーだとこねている人からすれば、とんでもなくショッキングなのではないか?と。
日本での桜は春の象徴のようであり、まるで生の部分と呼応しているようですが、むしろ散り際こそ桜の本分だと言えるでしょう。桜吹雪、八重の桜、大和魂など、死がそこら中にあります。ハーストはそれを知っていて描いているでしょう。宇多田ヒカルの「桜流し」にも死がありますし、「散る桜 残る桜も 散る桜」桜といえば特攻ですよね。「桜花」も。小松左京の「地には平和を」に出てくる少年決死隊も「黒桜隊」であり、あれは白虎隊をモチーフにしています。ぼくには、ハーストの桜の背景のブルーが、特攻に向かうパイロットが見た青空のようにも見えました。
なんて、いろいろ書いたんですが、ぼくが思ったことは、会田誠さんのテクストにほぼ書いてありました笑、ので貼っておきますね笑
まだ、23日まではやっているので、興味のある方は乃木坂まで行ってみてください。