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Eバイクの魅力を伝えたい
情報が伝わるプロセスは多くの場合、その業界のメディアが情報をリリースしていったりし、総合メディアがピックアップするような流れになると思います。あるいはその発端をインフルエンサーやアンバサダーのような人から切る場合もあります。Eバイクの場合、街乗り用の比較的安価なバイクはそのルートに乗りつつありますが、それらの販売経路が自転車店以外だったり、あるいはクラウドファンディングから購入する必要があるなど、ユーザーにとってみれば、安心してサービスを受けられるかどうか不安を伴う状態です。
性能面でも、スポーツ用の標準的な価格のものと比較して劣ってしまうので、”ちょっと高価なおしゃれ自転車”の粋からはみ出さないものです。もちろん、おしゃれな自転車には十分なニーズがありますし、それらを軽視するものではありませんが、長期に渡ってそのジャンルを下支えし、育てる、あるいは楽しみ続けるユーザーにはなりにくいでしょう。
わたしはスポーツ自転車の業界にいる人間として、スポーツやレジャーに利用するEバイクのポテンシャルを、楽しさを、もっともっと多くの人たちに知っていただきたいと思っています。それがEバイクを通じて自転車というジャンルをより多くの人たちに楽しんで頂けるようになるために必要だと思っています。
なぜ伝わらないのか?
当店にご来店頂く多くの方は同様に「Eバイクの名前だけは知っていたけど、こんな面白い使い方があるとは見たことも聞いたこともなかった。」とおっしゃいます。この問題は3-4年くらい前からあまり変わっていません。2年前のコロナ禍初期段階で、欧州で起きた事象と同様に、Eバイクの定着化に向けて動き出すべきだったと思いますが、既存店の多くは今もまったく興味を示していないというのが現状です。取り扱ってはいても、自ら所有して遊ぶということをしていないので、実態がまったくつかめていなかったりし、お客さんに遊び方を提案することができずにいます。これでは”ただ売るだけ”になってしまい、前述したような継続してEバイクで遊んで頂ける方は増えないでしょう。
サイクルツーリズムの大衆化
このツイートのような内容は、Eバイクを知って頂く際の課題としてよく指摘されるものです。ただこれも、”自転車での自由な移動は実際には脚力と体力にだいぶ制限される”ということを理解していないとたどり着けないことなので、既存のサイクリストとしての意識しか持たない店舗にはわからないことです。むしろ、その人たちにEバイクの良さを説明するのは大変だよねという内容だとわかります。
でも同じ方はこうもおっしゃっています。
既存のスポーツバイクを販売する多くのお店は、自転車に乗るのが得意な人が営んでいます。また、その楽しさを多くの人に伝えたいと思っています。それには人力こそ自転車であるという考えも含まれるにいたり、「Eバイクは自転車ではないから楽しくないであろう」となってしまいます。EバイクはEバイクで楽しいだろうと口では言う人も、実際に足を踏み込んではいなければ、理解しているかどうかは怪しいものです。
つまり、自転車でスポーツをしたい人たちがもつ既得権に対して、それを侵されたくないということなのです。最近はサイクルツーリズムという言葉が多く使われるようになりました。衰退しつつある観光産業に対して行ういろいろな仕掛けの1つとして、自転車を利用してはどうかということがきっかけです。もちろん、大変有効だと思いますが、そこには観光が歩んだのと同じ道やきっかけが必要でしょう。たしかに自転車は大衆化しています。しかし、ただ自転車があればよいのではなく、サイクルツーリズムを大衆化するにはEバイクを理解して利用してもらうことが必要なのではないでしょうか。
19世紀にあった旅と観光の相違に関する論争
観光というものが大きく発達したのは19世紀のことです。それまでも旅をする人はいましたが、観光は近代以降の存在です。観光学において参照される著作として著名なものにジョン・アーリとヨナス・ラースンによる「観光のまなざし」があります。その中でアーリとラースンは観光がそれ以前の旅行と区別する特徴はなにかという答えとして、それは「大衆化」であると書いています。観光が観光になるためには、産業革命が進み、労働階級が力を持ち、彼らの生活様式が余暇を楽しむものに大きく変わらなければならなかった、と指摘しています。(引用:観光客の哲学 東浩紀著 P23)
観光の大衆化を語る上で欠かせないもっとも重要な人物がトマス・クックです。彼の事業は中産階級や労働者階級を対象とし、新しい交通技術である鉄道を利用して、英国での観光の産業化を大きく成長させました。17世紀以降、イギリスの貴族には若い頃に欧州大陸や特にイタリア半島をめぐりヨーロッパ文化を学び、自覚を高める教養旅行「グランドツアー」が流行していました(某自動車番組はここからとったのでしょう)。クックの事業は国内のみならず、国外へひとびとを送ることも目的にしており、イタリアへの旅行者が流行しました。クックによるイタリア旅行の大衆化は、貴族や既得権益層からの非難にさらされました。どやどやと群れをなして押し寄せる大衆に対して、彼らの無教養さや慣習の相違などを指摘することで、拒否反応を示したのです。
その他、観光について指摘したものとしてはダニエル・ブーアスティンが1962年に「幻影の時代」で行ったもので、そこで彼は「観光は疑似イベントであり、マスコミが作り上げた偽のできごと」であるとしています。ブーアスティンは旅は本物に触れるからよいのであって、観光は本物にふれないからだめなのだと指摘したのです。(引用:観光客の哲学 東浩紀著 P28)
Eバイクも自転車である
自転車に話を戻します。ここまで書けば、察しの良い方にはぼくが言いたいことがおわかりかと思います。つまり、既存の多くの店舗の人は「Eバイクは本物の自転車ではない」と指摘しているわけです。これは、かつて観光について指摘された内容をメタファーして容易に説明することができるでしょう。
「本当の」「本物の」「これこそが」という言葉を使う場合、その多くは間違っている内容を含みます。一方から見ることで言い切ることができても、もう片方から見てみれば何らかの矛盾点が見つかることでしょうが、それをなかったことにして押し切るための言葉だと思います。
もちろん、Eバイクはこれまでの人力自転車に対して相対的に高価ですから、「大衆化になっていないじゃないか」という指摘を受けることでしょう。もちろん、そのものさしではそう言えると思います。しかしながら、サイクルツーリズムが広まらなかった原因はなにか?あるいは、それを除去することためのツールとしての可能性を鑑みれば、別の見かたもできるのではないかと思います。
多くの自転車店や自転車メディアがEバイクのポテンシャルを発揮させようという気がないように感じてなりません。なぜないのかわかりませんし、まず買うということをしないのがわかりません。つまり、彼らは意地を張ってるんでしょうか?単にこれはこれ、それはそれなので、Eバイクが楽しくても、ペダルバイクの楽しさは目減りしません。多くの自転車店が考えるEバイクについての販売戦略が、完全にサイクリスト向けになっているので、その可能性を否定的にしか判断できないのだと思います。そして、Eバイクの使い方を間違ってしまい、楽しさを味わえていないのだと思います。ペダルバイクで楽しいことを、Eバイクでやって楽しいとは限りません。いや、むしろまったく違うとおもいます。間違いの典型としては、変わらず長い距離乗ったりしまいます。それが違うんです。
Eバイクとはなにか?
Eバイクとは何かを簡潔に述べると、「自転車から苦しいことを一切排除した、楽しいだけの自転車である」と言えます。Eバイクに一度も乗ったことがない人にとって想像以上に自転車であると感じます。むしろ、これこそが「誰もが自由に移動できるという自転車の本質にもっとも迫る自転車である」と気づきます。
さきほどぼくが19世紀の観光産業の起こりについて書いたことを踏まえてみれば、現在の観光産業としてはサイクルツーリズムの大衆化を理解し、目指しつつあるわけです。しかしながら、自転車を販売する側や国内代理店側はまだまだそこに対して二の足を踏んでいるのだと思います。これでは大衆のニーズと結びつきません。
これは何度も何度も書いていますが、Eバイクでは運動にならないというのはあまりに大きな嘘です。これもまた、新規参入を拒む、あるいは購入しないがための理由付けとして指摘されることであって、実際に乗っていないことで発生する事実誤認でしょう。
運動の定義を息切れするほどの強度に設定している場合、たしかに地形次第では運動にならないと言えます。既存の自転車店の多くは、目の前にいるサイクリストにEバイクを販売しようとし、自らの考えにも縛られているため、このような考えになってしまいます。しかし、適度な運動を運動であると認識する場合はどうでしょうか。Eバイクを利用すれば、いかなる地形であっても運動強度を過度に上昇させることを避けられます。自宅がどこにあるか次第ですが、そこから適度な運動が可能なルートだけではなく、あらゆるルートを検討することが可能になります。ルートが多岐に及ぶことで、ルート上に設定できる楽しみも付加することができます。つまり、観光が気軽に可能になります。哲学者の東浩紀は著書である観光客の哲学の中で観光を「観光は、本来ならば行く必要がないはずの場所に、ふらりと気まぐれで行き、見る必要のないものを見、会う必要のないひとに会う行為である」(観光客の哲学 P34)と、このように指摘しています。なお、ぼくのようにそこそこ自転車に乗るのが得意だったり、体力のある人がほんの少しだけ息切れするくらいに運動をEバイクで行いたい場合には、人力自転車では行きたくないような地形を走ったり、あるい登坂時にアシストをECOなどの弱い設定にすることで十分すぎるほどの運動になります。
このようにEバイクは、自らの脚力や体力の範囲で移動するためのものである人力自転車に対して、体力の壁を取り払い、誰もが行きたいところへ自転車で行くことができ、なおかつその人自身が望む程度の強度の運動をあらゆる地形で継続することができる素晴らしいものなのです。
Eバイクの未来とは
多くの人はそんなことが起きるのかどうかと思うかも知れません。地域差は大いにあると思いますが、軽快車において電動自転車が一定程度のシェアを占めたように、スポーツ自転車においても同じことは起きるでしょう。すべてのメーカーにEバイクがラインナップされてはいませんので、既存のサイクリスト気分のお店は「選ぶ楽しみがない」と主張します。しかし、移動するため、あるいは観光するために車を買う場合、ひとびとは果たしていくつの車種から比較検討しているでしょう。その数が、その道具を用いて行う移動や観光の楽しさを目減りさせるでしょうか。
今現在の代理店規模を考えますと、扱っている車種の数が少ないのは無理もないと思います。Eバイクはペダルバイク(人力自転車)以上に売る側にもコストが必要です。まあ、コストがかかる時点で「それはだめだ」と排除したり、非難したりする方もいるのでしょうね。ぼくの予測では、数年後になっても小さな規模の代理店がEバイクを積極的に日本国内へ導入するとは思えません。そして、Eバイクを購入したい人が選ぶメーカーは現在と同様に4〜5社に限られるでしょう。自動車を購入するのと同じで、継続的持続的なアフターサービスを展開してもらえる担保がなければ、買われなくなると思います。
フィールドでは、これまで観光地として認識された以外の広い地域でEバイクが走るようになることでしょう。体力が十分にある人でないとたどり着くことができない場所にも、Eバイクでならばと、訪れる人が増えるでしょう。むしろ、ペダルバイクで走っても楽しくないルートや、クルマも歩行者も行くことができない場所に、唯一Eバイクだけが走ることことが起きると思います。実際、ぼくが楽しんでいるEバイクライドの
多くは、クルマやオートバイ、自転車がいるところを避けるので、そうなります。もちろん、無限の体力と精神力をもってすれば、何事もなしえるのでしょうけれど、そんなことは誰もが頻繁に達せられることではありません。
Eバイクは、鉄道やクルマやオートバイでは行ったことがない場所、あるいは行く必要性がなかった場所へ、楽しく行くことができるものです。これまでの観光は「他者が欲望するものを欲望すること」を基本にしていました。しかしながら、Eバイクは自分自身にとってより主体的な欲望を自由自在に気軽に実現可能な移動体です。その価値を”従来の自転車の価値”に当てはめて計ることは、それを読み違えてしまうことになりますし、自転車がもつポテンシャルを認めず、自転車を利用できる人を増やすことに対しても足かせとなってしまうでしょう。より一層、Eバイクを利用したサイクルツーリズムを発展させるには、列車へのEバイクの積み込みが用意になることが欠かせないでしょう。これは19世紀の英国での観光産業の発達において、鉄道の発達が欠かせなかったのと同じですし、20世紀の日本で伊東や箱根での温泉療養(主に戦争による傷病者の慰労などのため)が鉄道によって利用されたのち、戦後に温泉旅行が大衆化したのと同じだと言えます。
ご来店ください
ここまで読んでいただいた方でも、Eバイクを実際に所有しているかたには首を縦に振っていただいているかもしれませんが、そうではない方には何のことやらわからないかも知れません。結局、話をしてみないと何もかもわかりません笑。
肝心なことは、少しでも興味を持って頂いたらお話を聞きに来て頂くことです。ご来店いただければ、Eバイクのリアルな話をいくらでも、”あなたが買うまで”してさしあげます笑。というか、興味を持ってぼくの話を聞いて、それでもEバイクが欲しくならない人はいません笑。なお、ぼくはEバイクを3台所有してます。
ご来店をお待ちしております。
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