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写真からは分かりにくいかも知りませんが、赤信号で停止した先頭よりもトラックは左にやや寄っています。指示器は出ていませんが、曲がりたい意識が出ていることがわかります。ぼくの前を自転車で走る妻は感じなかったのでしょうし、気にしていないのでしょう。だから、すり抜けて前方へでました。ぼくは全体を俯瞰して感じて走っており、また、全体の流れの中での自分と周囲の安全を意識して走っています。
ぼくは基本的にすり抜けはしない方針です。ただ、安全確保可能な場合、それを優先してすり抜ける場合もあります。良いか悪いか、二項対立で考えたり、それのどっちにつきますか?とは問いません。むしろ、それらにあまりメリットはないと思います。なぜなら、自分で考えず、多勢に無勢と多い方はどちらだろうと空気を読み、片方につくだけでは、その瞬間の当事者である自らや周囲にとっての安全を実現するために役に立つとは限らないからです。
今回のケースではいずれの考えにおいても後方に通常通り停止すべきだと考えました。トラックの前まで出たら、曲がる前に信号を渡ることができ安全だろうとも考えられますが、わざわざ狭いところを通って前に出る行為自体が周囲に与える印象があまり良くないと思います。繰り返しますが、とはいえまったくしないとは言っていませんし、する人を攻撃する意図もありません。
すり抜けは良いか悪いかの二項対立ではなく、どれが正解かではなく、常に改善し、修正していく走り方を心がけることが大切だと思います。守るべきは自分と周囲の両方です。ぼくは他の誰かの走りを咎めることはあまりしませんし、よく思いません。ならず者を見かけるとやれやれとは思いますが、その人はその人で、ぼくはぼくなのです。ぼくにその人の行動を変える権限はなく、また強制力もありません。それが自由であり、それぞれが負う代償であると思います。
妻は停止線より前に停車しているから違反であるとのご指摘があるなら、まったくその通りだと思います。ただぼくは、当事者としての自分と周囲の命を本人が守ることを優先しているならば、細かなアレコレは気にしていません。また、妻とはいえ自分ではない他なので、本人にイチイチ指摘するのも失礼かと考えてます。