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ほとんど買う気でした
今回のお客さんはリムブレーキモデルを買うつもりで、MERIDA X BASEに行き、試乗をして決められたということでした。ただ、リムモデルとディスクモデルを乗って比べたのではなく、前者だけを試乗し、初めてのロードバイクとしてリムブレーキモデルのSCULTURA 4000 RIMを買うつもりだと決められました。目的はロングライドやツーリングで、年齢は50-60歳くらいでしょうか。お客さんはリムブレーキモデルにあるポジティブな点を述べられた上で、ぼくはそれを肯定しつつも、彼にネガティブな点を伝えました。内容の詳細は飛ばしますが、シンプルに言えば、ディスクのロードバイクが登場してもう10年弱が経過します(メリダでは2017年から)。移行期間は終了しました。すでに時代は変わっています。企画モノの世界で古いタイプを使うことは、たいへんな不便性を伴います。それを受け止めた上で買うことを決断したほうが良いと伝えました。これに対して、割と多くの人は「買う気になっているのだから何も言わずに売れば良い」と思うかもしれませんね。
ゆっくり考える
否定的なことというのは言い方や受け取り方によって、わだかまりを生むケースもあります。そもそも、肯定的なことしか言われたくないと思っている人にとって、ぼくから否定的な意見を聞くことそのものに抵抗を感じたり、嫌な思いをするケースはあります。ものを売るのだから、そういうものだろうと思うのは当然だろうと思う人もいると思いますが、ぼくは責任を持って販売したいと思っていますし、買う前に納得して欲しいと思っています。ポジティブな意見だけ述べていてもちゃんとした納得は得られません。ネガティブな事実も伝え、その両方を知った上で得ることこそ納得だと思います。誰かに好きだと言われて、好きだと返さない人があまりいないように、また、その好きだという気持ちは多くが勘違いではあるわけですがw、相手のことを思っていう言葉やウソというのは現実にあるものです。世間で評判のいい優秀な話者とやらは、そのウソを利用して相手に合わせていく、自分の意見を曲げるということをするわけです。それが必要であることは認めます。先程書いた通りに、好きだと返すはずですからw
ところが、責任を持ってものを販売する会話は(会話は基本的にそうですが)、相手にも変化を迫ることの連続によって成り立つものです。片方の意見だけを肯定しているばかりでは、筋が通らなくなります。筋が通らなくても、段々と変化するようなゆるい変化の場合なら良いですが、来るお客さんによってまったく違う意見を言ってしまうのはどうかと思います。最近では、とにかく否定は良くないという正面的な捉え方が増えているので、ぼくがなにか否定的な意見をいうと「押し付け」であると理解されるケースもあります。そうならないように細心の注意をするのですが、受け取り方次第でもあります。ぼくは今回、「止めたほうが良いですよ」とは言っていません。「個人的にはディスクを選ぶ方が合理的と思うけれど、もしリムモデルを選択するのであれば、いいところばかりではなく、両側を知った上で納得されるなら喜んで販売します」と伝えています。
肯定するばかりではわからないこと
相手のいうことを肯定し続ける会話が間違っているとは言っていません。いろいろな方法があるのだと思います。しかし、相手の考えに新しい変化を提供したいと考えた場合、「いやいや、そうではなく」から始まる会話もあると思います。会話により一つの合意を求めることがただしいとされる意見がおおくなっているように、そんな空気がまん延しているように感じますが、ぼくは違うように思います。会話は終わらないからこそ面白いのだと思います。結論がある話ではなく、最終的な言葉がない状態。「これが最後のことばですね。いいですね、結論ですね。」となるのではなく、「いやいやちょっとまって」と続く先にこそ、その会話の中から得る何かがあるのだと思っています。しかし、一つの結論に双方が達するべきと考える人は、”いずれかが折れるものだ”と考えがちな気がします。
相手のことを想うにも色々な方法があります。子どもに関することなどはいい例かと思います。あるいは相談を依頼されたケースなどもそうでしょう。相手からほんとうに信頼する相手だと思われる場合、「あなたならどう考える?」「あなたならどうする?」と聞かれたとしてます。さてどう答えるでしょうか?相手の立場に立つというのは、常に良いとは限りません。相手の立場ではなく、メタ認知が必要になります。その上で、相手を怒らせない、嫌な気持ちにさせない努力も必要ですが、ぼくは会話に間違いは必ず起きると思っているので、それらをあまり恐れずに、伝えるべきことをしっかりと伝えるようにしています。
せっかくぼくのお店まで来ていただいたので、信頼していただく用意を備えていただいたと考えています。ですから、ぼくは率直に、接客というより会話(対話)を提供した上で、納得して決めていただければ良い結論に至るはずだと思っています。しかし、単に買い物を楽しく行うとか、楽しくお金を使うということとのバランスは大切だと思っています。すぐに売上にするのは安易に可能ですが、今回は購入頂けないだろうと思っても、できる限りの最善を提供したいがゆえ、ゆっくり考えていただきたく、今回はそのような案内を行いました。
いまもある、ディスクかリムかというはなし
「リムブレーキのロードバイクがまだ売ってる」と言う人もいます。しかし、もっとも新しい世代のディスクロードと比べてしまうと、あまりにも自転車が前に進まないのでびっくりしてしまうと思います。力が抜けるような感じがしますし、路面の凹凸に負けている様子もわかると思います。全体に華奢で、スピードが上がると恐怖心を抱きやすくなりますし、安全性も低いと思います。メリダでディスクモデルがではじめたのは2017年モデルあたりですが、開発はその前からスタートしています。ディスクロードは性能バランスも細部もどんどん良くなってしまいました。リムモデルの大きな開発による進化は、2015年あたりで止まっています。2018年くらいまでの間、細部を変更する程度で引っ張り、2021年くらいには大手メーカーのカタログから落ちました。つまり、2015-2017年くらいを境にして、大きな開発の流れはリムからディスクへ移っています。開発が止まったものと、続いているもの、さすがに10年弱のブランクは具体的な違いとして現れてしまいます。
メリダでは現在カタログに2機種だけ残っていますが、グローバルのカタログからは何年も前に落ちています。いまは、必要だと思う国の代理店が古い設計をそのまま使い、企画し、製品化しています。ただそれも、実際にニーズが有るというより、ディスクブレーキモデルを扱えないお店や超保守的なお店からのニーズがあるだけで、全体としてはほとんどないと言えます。いまでもリムモデルに乗る人はいるでしょう。それはそれで良いと思います。しかし、その人たちを含めてリムモデルに乗る人が大勢いるように見せるのは、いささかフェイクに近づいてしまうのではないでしょうか。
ふつうに考えて、いまはリムモデルに乗っていても、次買うのはディスクにするという人は多くいます。この先の買い替えでもリムを使うようなマニアックな人は、同時にSNS上で声が大きい可能性が高いので、アピール力が強くみえますが、実際には相当な少数派でしょう。全体のシェアはそのうち変わっていくと思います。大手メーカーを選ばない人もマニアなので、それはそれ、これはこれでOKです。いろいろなことに言えると思いますが、よく知ってる人とマニアは同じではありません。リベラルと保守のような違いです。
自転車を評価する場合、フレームやブレーキの細部のところから見るのではなく、ぼくは前から自転車もバランスが大事だと言っています。幅広いタイヤも太くなったリムも、それ単体ではなく、全体をお互いに支え合ってお互いに変化をもたらすのだと思います。そしてある時、バランスが整って、変化が小さくなる。いまはそこにいます。
ディスクブレーキというパーツだけが、制動機能を発揮するパーツだけが変わったのではなく、10年くらいの長いスパンの中で少しずつ変化をし、それが移行期となり、やや未完成な製品も過渡期には生まれ、いまや完成形に近い、あるいはそのラインを経た後の製品がどんどんと市場で普及して行っています。
「ディスクは輪行が」とも言いますが、20年も前からMTBで輪行もすれば車載もしてるぼくらからすると、何も変わりません。単に慣れの問題であり、ルーチン化した合理的な作業を身につけるかどうかだけです。思い出してください、はじめての輪行はかんたんではなかったでしょう。それに、「そもそも輪行そのものが面倒だ」ということに。重量増についてはトレードオフで考えましょう。むしろ軽くても進まない自転車をぼくは知っていますし、繰り返しになりますがバランスがたいせつです。リムが太くなったのはタイヤが太くなるからで、それはブレーキが変わるからであり、フレームも最適化されます。フォークだってリムの頃と、最新のディスクモデルではまったく違ってしまいました。よくなりました。よくなったとは、ディスクモデルとしてよくなった結果、リムモデルのフォークの出来栄えを圧倒的に追い越してしまっています…
やはり、開かれていくほうが、自らの訂正を受け入れるほうが、視野が広がりますし、いろいろなものを肯定しやすくなりますし、市場を味方にできると思います。つまり、ふつうに便利に使えるようになります。
前に進もう、これがぼくの意見です。