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目次
ぼくは一体何者か
ぼくは2012年、東日本大震災のすぐあとに起業しました。それは単なる偶然です。起業を考えていたら、それが起きてしまいました。日本にとってはとても大きな事象でしたね。今でもその余波はいろいろなところに残っていますし、ひとびとが大きく変化するそういう事象だったと思います。それ以前のぼくは、足立区にある自転車店に務めたり、あるいは台東区にあった自転車店に務めたり、その間には自転車ウェブメディアで編集や執筆や企画など多くの業務を担当していたりもしました。さらに自転車業界に入る前には、いわゆるIT系という仕事が出始めてきた頃だったので、そっちにいました。そこでぼくは、ネットの世界をまさに1から勉強し、プログラマーを経験したり、いわゆるSE的な仕事やPM的な仕事もやってきました。しかし、それに疲れてしまいました。ものすごく端折って言えば、そうして自転車業界へ入ったというわけです。
開業時まもなくメリダを扱う
開業時、ぼくは欧州系のブランドが好きで、自分でも乗っていました。大人になってから乗ったメーカーを挙げれば、最初はSPECIALIZED(この頃はまったくロードは売れていなかったw)から始まったものの、ORBEA、PINARELLO、OPERA、TIME、ROCKY MOUNTAIN、GIANT、YETI、FONDRIEST、MBKなどさまざまでしたが、やはり欧州系が好きでした。それは実際に欧州へ行き、現場を見たからだと思います。2007年にイタリアを旅行した際、ローマ、ミラノ、トレヴィソ、レッコ、コモ、ヴェネツィアなどを見て、イタリアにおける自転車文化の実際を見ました。特にPINARELLO本社のあるトレヴィソでは、カワシマサイクルサプライに手配を依頼し、PINARELLOファミリーの案内で本社を見ることができましたし、すばらしい歓迎を受けました。この2007年当時にはまだ、欧州の自転車ブランドがまだ元気で、「やはり欧州だろうな」と思える時代でした。しかし、のちに状況は変わっていきます。
ブランディングとは
ブランドへの理解とは、ブランドを理解するとは、どういうことなのでしょう。そもそもブランドとは?ブランドとは、看板のような記号のような意味だと思われがちですが、そもそもは競合する売り手の製品やサービスと区別するための名称、言葉、記号、シンボル、デザイン、あるいはこれらの組み合わせを表したものです。その製品やメーカーにより、ブランドという言葉が表す意味は異なってきます。ゆえ、ブランド力を比較する場合、同じ物差しの上にないこともあります。シンプルに言えば、それぞれが違っていいし、違うので区別するだけということですね。
つまり、メリダブランドへの理解を、他ブランドの物差しで行うと間違ってしまうし、逆もまた同じだと言えます。それぞれが違うのです。各々のブランドが、何を大事にし、何を目指しているか、それを理解していただける方を増やすことがブランド力向上の鍵であり、違うブランドの物差しにあてて否定したり、嘘をついたり、物語を空想させるのでは、間違った理解を進めてしまうことになると思います。
欧州からアジアと北米へ
今からの16年前の2007年にもアジアや北米のメーカーが勃興してくるきっかけは充分にあり、すでに表面化していたものの、やはりまだ欧州が主流であり、真実があった気がした、そんな時でした。それから5年後の2012年も、先程申し上げたようにまだまだ欧州が元気でしたので、ぼくの店で扱う製品もまた、当然ながら欧州ブランドからピックアップしていたというわけです。ただ、実際にはじめてみるとある変化に気が付きました。
たくさん売れている店でも、そうでなくても、店主やオーナーとして見えるものと、いちスタッフとして見るものは、まったく異なります。自分の立場が違うのはもちろん、見るべきものが変わってきます。自転車店のスタッフはよりお客さんに近い立場なので、その自転車の個性や色気や性能に多く興味を持つのが妥当だと思いますが、店主となると違う考えになりますし、その根拠となるより深い情報に触れられるようになりました。これはまったく違います。
まるでお客さんのように目をキラキラさせている自転車店員を見ていると、自分もこうだったなと思い出します。業界や各々のメーカーの深い部分まで見る立場を得たり、あるいは目線が変わってくることで、それまで魅力的に見えたものがそうではなくなったりするものです。一般的な話でいうなら、ある人への評価がある事象を境にして遡行的に書き換えられてしまうことは、よくあることです。これは良くも悪くも。
おそらく、ぼくが日本にいたままメリダというブランドを扱っているだけなら、ぼくの過剰なまでのメリダ愛は生まれなかったことでしょう。なぜなら、日本にいてもそれを理解するのは無理だったと思うからです。やはり、実際に見聞きするのと、人から話を聞いたり、映像を見るのはまったく違う効果をもたらします。人に会うのもたいせつなことだと思います。人からいくら話を聞いても、実際のその人は違う印象だったりしますし、別の魅力を発見できたりもします。これはブランド然り、人間然り。まさに百聞は一見にしかず。
今はメリダジャパンですが、当時はミヤタサイクルが代理店でした。ミヤタサイクルはぼくにこう言いました。「スペインへ行きますよ」と。「え?スペイン?」となったぼくw
目的地がスペイン村でも驚きますけどw、期間を聞くと10日間にも及ぶというのですから、どうやらほんとうにスペインらしいわけです。さらにはイベリア半島ではなく、バレアレス諸島のマヨルカ島であると聞きました。さらに「ええ?」ですw
当時そこで行われた新製品発表会とプロチームの活動発表会が開催されていました。それに参加するためだというのです。その時点ではそれがどんな意味を持つのか、それがぼくに必要なことなのか、どんな結果になるのかわかりませんでした。店を少なくとも10日間は閉めないといけませんし、開業当初でそんな余裕はなかったのですが、妻と相談し行くことにしました。メリダと聞いて何を思い浮かべるかは、どう言語化できるかは、その理解の仕方、つまり先程書いたメリダブランドへの理解が正しいかどうか、幅広く理解しているかどうか、事実に対して正確かどうかによって異なります。その時のぼくはそれが理解できていませんでした。単に製品しか見ていませんでした。だから、行く理由が見つけられませんでした。そこで、今は神奈川県でショップを経営してて、かつて大手ブランドの技術系のマネージャーをしていた方が、ぼくにこんなアドバイスをしてくれたのです。
「もうこんなチャンスないと思うよ。まだわかってないかも知れないけど、朝倉くんも自転車業界を知らないわけじゃないだろうから考えてみてほしいんだけど、今まで日本に上陸しているブランドはたくさんあるよね。でも、今から先、メリダほど大きなブランドが日本に来ることはない。ジャイアントはあるし、メリダがそれについで大きいのだし、それ以上はないのだから。色々細かいのは来ると思うけど、そんなのは知れてる規模でしかない。役割も小さい。だから、そんな規模のブランドが再上陸とはいえ、本気で日本で展開する機会に最初から関われることなんて、もうない。その立場を得られるチャンスをつかめるのだから、やるしかないと思う。これは偶然ではなく、朝倉くんがこれまでやってきたことと繋がっていることなので、それだけ評価してくれているということだよ。」と。
これがぼくがメリダを扱うと、マヨルカへ行くと決めたきっかけでした。
現場を見た数少ない人のひとりとして
2012年の2月、ぼくは成田空港からパリとバルセロナを経由してマヨルカ島へ降り立ちました。海外や外国人に対してアレルギーはほとんどないぼくではありましたが、実際に海外へ行った経験もそう多くはなかったですし、遊びではなく仕事で、しかも”実際に何をするのかわからない状態でw”、24時間もの旅を経た先で緊張しないわけはありません。明日から何が始まるのか、何をすればいいのか、わかりませんでした。とりあえずは寝たかったのですが、ホテルに到着したのは夜中の1時半くらいで、寝に入ったのは3時近くだった上、実はこの日はほとんど寝られませんでした。この話を知りたい人は実際に聞いてください…w。
さて翌朝、朝食前にこれからどうやってメリダを日本で展開し、販売していくか、広告していくかについて、代理店の責任者やプレスと一緒にミーティングをしました。まさにゼロからのスタート。メリダ以外にも多くのブランドが日本で展開されていますが、こんなところからショップの人間が関われることはまずありません。大抵の場合、ショップは商品をみて、仕入れて、売る、それだけです。その後のお客さんの世話もショップの仕事ですから、代理店はショップに売ればいい、そう思っています。ミヤタサイクルはそこが違いました。メリダを日本に伝えるに当たっては、単に商品を仕入れて売るだけでは満足せず、メリダのブランドをちゃんと伝えるということを使命にしていました。実はこれ、ミヤタサイクルの意志であるだけではなく、メリダ本社の意志でもあるのです。メリダは数を売ればいいと思っている企業ではなく、長い時系列でメリダが愛されることを目指している企業なんですね。これがとても良かった。素晴らしい企業だと思いました。
2012年にマヨルカへ行ったお店は3店舗だけでした。翌年、10店舗くらいに拡大したのですが、その人数では前年と同じことは起きませんでした。なぜなら、その一部の人らにとっては単なる旅行になってしまったからです。大切なことを伝えたいけれど、受け取る人を無理に増やそうとしても、準備ができていなかったりし、それは一時的な熱狂で終わってしまったのです。祭りに過ぎなかったのです。それゆえ、翌年の2014年にマヨルカへ行くメンバーはぐっと絞られました。これはただしい判断でした。ぼくが2012年に行けたのは本当に幸運だったと思っていますし、2014年まで見届けられたこと、関係を続けられたことはとても幸運なことだと思います。
色々なブランドを扱う、その中の一つとしてメリダを捉えているのではなく、しっかりメリダとともに生きていこうと決めることができるお店は多くなかったのです。実際、2013年にマヨルカへ行ったお店は、もう半分もメリダをメインにしていないどころか、扱ってすらいません。それは仕方がないことでしょうし、色々な理由があることでしょうが、期間を限定した一時的なお祭りのような熱狂を望む人は、それしか望んでおらず、そういう受け取り方しかできないということだと思います。今ではメリダパートナーショップは少しずつ増えてきました。パートナーとは、まさにメリダファミリーの核となる役割を担い、果たす約束を、お互いの合意の上でするのであって、一方がもう一方に押し付ける関係性ではありません。これもまた、メリダらしさと思います。
ぼくは2013年に台湾の本社へも行っています。実際に生産している現場を見て、あまりにも、想像していた以上の規模の素晴らしいインフラであり、生産管理の程度もものすごいものでした。2007年に見てきたものはまったく違うものでしたし、人づてに聞く他のブランド工場の様子ともまったく違いました。本当にびっくりなので、ぜひ実際に見てほしいですが、そうはいかないので、こうしてぼくらが伝えるしかないわけです。
マヨルカへは2012年、2013年、2014年と計3度行きました。そんなお店の人は、日本に3人くらいしかいません。それだけ多くのことを伝えてもらうチャンスを、受け取るチャンスを授かることができたのはほんとうに幸せなことですし、たいへんにありがたいことだと思います。ぼくの役割はとても大きいのです。
ぼくがやりたいこと
マヨルカでは新製品のプレゼンテーションを受けたり、チームのプロ選手と走ったりし、夜はプロ選手や各国の代理店と毎晩パーティがあり、そこでもほんとうにさまざまな文化と触れることができました。台湾のメリダ本社を訪れた際もドイツやノルウェーなど、多くのディストリビュータの人びと、あるいはMERIDA R&Dセンターの責任者であるヨーガンから話を聞く機会を得ることができました。台湾では、創業者アイク・ツェンの息子で、現社長であるマイケル・ツェンとも顔を合わせていますし、そもそもメリダを扱っているにも関わらず、メリダブランドを啓蒙する際にマーケティングや実務面で前面に出て活躍する中心人物である副社長のウィリアム・ジェンを知らない人が多いというのは、メリダに関して伝えきれていないということ。これはぼくの仕事が至らないがゆえ。
話される話題は自転車に関連することが多いのはもちろんですが、それ以外の話題やきっかけから、自転車やその周囲にある多くの文化をメタで見ることができるのが素晴らしい経験でした。
ああいうものがあるかないかで、ブランドへの理解の幅がまったく異なってくるでしょう。客観的に見るといっても、人間はそれをそう簡単にできませんし、なかなか難しいものです。想像には限界がありますし、時にそれは空想になってしまいます。最初に申し上げたように、日本にいる限り、日本人同士で話す限り、なかなかわからないことばかりだと思います。また、プロ選手どころか、現役の世界チャンピオン、元世界チャンピオン、欧州チャンピオンなどの経歴を持つ選手たりと直接交流を持てるチャンスを得られました。でも、それは仕事です。単にファンとして接しても意味がない。そのことについて、またこう言われたのです。
「それが普通にならないと。君は仕事できてるんだし、彼らが隣りにいるのも当たり前の立場になったんだよ。」と。
その後、翌年や翌々年のマヨルカで、あるいは台湾で、そこで出会った人々とは再会することになりました。そして、ぼくは自信を持ってメリダを取り扱うことができるという気持ちになっていきました。つまり、どんどんとメリダに対する愛情と情熱が深まっていったということですし、単に仕入れて売るだけなら他の人でもできるだろうけれど、ぼくの役割は違うのだろうとだんだんと想いを深めていきました。
何を大事にするか
メリダは「MORE BIKE」というキャッチを持っています。これはもっと自転車をという意味ではありますが、自転車をスポーツの道具としてだけではなく、日常の足として、あるいは健康のためや家族との交流のために、自転車が担える役割はとても大きいという意味です。もっと自転車を使いましょうということですし、もっと自転車が担う役割はあるよということです。メリダが大事にしているのは自転車を使う人やその人たちが送る生活です。これが欧州の高級ブランドとは違うことだと思います。もちろん、欧州ブランドでも自転車で楽しそうに走る姿は描かれますが、実際に欧州へ行ってみると、ある程度の所得や階級が上の立場の人たちに向けて展開されていることがよくわかります。実際に、そういう人が乗っていますし、そういう人たちが経営しています。それはアジアの文化や歴史とはまったく異なりました。メリダはアジアのブランドです。そのような姿勢はありません。ホワイトカラーだけではなく、ブルーカラーも使う。台湾はもちろん、中国、韓国や日本でも販売されるアジア圏の土着ブランドであり、輸出がメインのブランドです。
ところが、マヨルカでぼくが見たのは、欧州の人間もメリダに乗るというものでした。ただ乗るだけではなく、アジアンブランドであるメリダを愛していました。これに大変驚きました。北欧、ベネルクス、あるいはドイツといった所得の高い国で、とても人気があり、メリダの販売数の大部分を占めていましたのには驚きました。現場には多くの台湾人がいるのかと思いきや、日本人のぼくらがアジア人として目立つばかりで、8〜9割型が欧州人種だったのです。本当にびっくりでした。「なるほど、メリダは欧州で開発される理由はこれなのか」とわかりましたし、少しずつメリダを理解していきました。
祭りではなく、たいせつなことは持続的であること
これまで、日本における自転車以外の販売においても、あるいは販売という業種以外でも、祭りが人びとを動かしてきました。「お祭り」化した一時的動員、それはブームとも言い換えられるでしょう。大事なのは祭りのあとであることは理解されていますが、祭りを望む声は大きい。そして、祭りが終わると、すべてを忘却し、日常に戻るのが日本人のよくある姿です。だから、文化として根付かないものは多くあります。
ブランドを流行らせるとは、いかに動員をするかという意味である場合が多く、祭りの期間にいくら稼ぐかのように捉える人も多くいます。日本の人びとはブームを求め、ブームは悪いものではないと言います。また、それがビジネスとして当たり前だと思う人もいます。でも、メリダはそう考えていません。だから、地味に見えます。地味ながら、地道にアイデンティティを伝え続けるという方法を選択しています。メリダ R&Dの開発についても言えます。その開発のテンポ、完成度、進化やその過程はすばらしいものです。しかし、祭りを起こせる要素は少ないのです。他のブランドでのギミックやスペックで起きる一時的な祭りには、覚えがあるのではないかと思います。メリダの場合、それができないというより、意図的に避けていることもありますし、R&Dでも合理性を追求しすぎているということは言えます。
「メリダってどういうブランドですか?」
と聞かれることは多くあります。
その答えを非常にシンプルに言うと、
「メリダはその製品そのものでしかない」
と言えます。
メリダは美利達と書きます。美しく、性能がよく、便利、つまりリーズナブルであるという意味も含めた利用のしやすさを表しています。欧州ブランド、特にイタリアンバイクのようなファミリーネームをつけることはなく、ただ企業であるだけです。自転車ブランドをファミリーネームのような記号性や物語性において語ることに慣れさせたり、その物差しで評価させようとする場合、メリダについてはあまり語ることはでてきません。創業者アイク・ツェンについてのストーリーはあるものの、イタリアにおけるそれとは異なります。欧州、特にイタリアのそれをサンプルにした自転車の広告は、まるで神話のようです。ぼくはあれはもう現代的ではないと思います。日本の自転車メディアは、日本人が望むようなスタイルでしか語ろうとしないので、メリダの魅力を伝えるには難しい存在です。彼らは欧州礼賛を基本スタイルとし、それを崩そうとはしません。あるいはそこへのカウンターとしての北米カルチャーを、まさに民主主義的に取り入れることはしますが、あくまでそこまでです。これは自転車メディアだけの問題ではないでしょう。よく言われることとして、日本で人気のあるディズニープリンセスはみな欧米白色人種で、ポカホンタスやムーランやモアナはまったく人気がありません。日本人は敗戦を契機に自分たちを優れた欧米列強と同じところに達したと思っているので、アジアンブランドを下に見る傾向があります。そういうこともありますし、ユーザーが理解不足になるのも致し方ありません。ぼくらはその至らぬ部分を補足するために、伝えるために現場を見てきました。
メリダは、そのブランドの名付け方や意味だけではなく、製品の名前もシリーズ名+数字で表しています。シリーズには名称をつけざるを得ませんが、あとは数字だけで名前を作っています。確かにドイツ的(クルマメーカーでも言えます)だとは言えますし、無機的というか、意味を持たせないのには意味があるでしょうし、意図的にやっていると思います。DT SWISSも同じようですね。つまり、ぼくが「メリダはその製品そのものでしかない」というのは、その製品を使った感触や結果でしかないということです。そこに余計な脚色や大げさな物語や空想はなく、ただただ乗った感じと人がいるだけ。メリダとはそういうブランドです。製品が発揮する実力にたいへん自信を持って開発しているメリダ、ぼくはそれがいいと思っています。
そのアイデンティティを少しでも理解してくれる人が増えることで、メリダファミリーという家族的な連帯を作ろうともしています。家族というと保守的な印象を受けるかも知れませんが、そうではありません。儒教的な、あるいは日本の伝統的な親子中心主義,父子主義,血縁主義を原理とする家族感(むしろイタリアンバイクの家族感はこれであり、保守的、家父長的で日本と似ている)ではなく、それはひとことでいえば、グローバルな消費社会が生み出す「商品」の同一性、例えば同じ音楽を聞いているだとか、同じ野球チームが好きだとか、そういう端的な事実による連帯というところです。そこにはなんら政治的、文化的メッセージ性はありません。ただなんとなく、偶然に興味を持ってくれた人をできるだけ”にわか”にしない努力とその誤配的、郵便的な関係性の意識拡大というところでしょう。きっかけとしてはただなんとなく好きになったブランドとしてメリダがあればいいけれど、できればそれをより深く知ってもらい、それが好きな人同士が何となく連帯感を感じるという程度のもので、まったく強制力はありません。これをベースにしているので、メリダは世界中にひとつも直営店舗を持っていません。メリダのあらゆるショップは、メリダを通しての繋がりや愛情によって維持されるべきだと、メリダは考えており、それでこそ持続性のあるメリダディーラーが可能だと考えているのでしょう。
メリダという名前は、人でも、歴史でも、記号性でもなく、その製品そのものと、それを使う人の暮らしにあるのですから、製品に確固たる自信があるということだと思います。
その上で、メリダはデカい。会社がでかい。これは絶対的優位性です。潰れることはかなり稀です。アフターサービスの持続性に安心できるでしょう。クルマを買う時、大きなメーカーから選ぶのはそういうことでしょう。自転車はメーカーがなくても大丈夫だと勘違いしたり、それを軽視して新興コンポーネントメーカーに手を出したらするのは、まったくの思い違いだろうと思います。
ぼくはメリダとはどういうブランドなのか、その事実や少しでも深い理解をより幅広い人に知ってもらおうと思い、サイクルショップ マティーノを開いています。メリダの自転車をぼく以上により速く走らせられる人はいくらも多くいますが、ぼくよりも広く深くメリダを知ってきた人は、日本のお店にはほとんどいないでしょう。また、ぼくほど過剰なメリダに対する愛情を抱え、それを迷惑なくらい伝えようとする人もまた多くはないでしょうw
メリダに関する昔話や無駄話を聞いた上で買いたい方は、ぜひ当店へ。