東京Eバイクさんぽ 2024/01/31

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1月最後の日

31(バスキン・ロビンス)のアイスって、毎日違う味が食べられるっていうことなんでしたっけ?ということを唐突に思い出しつつ、31日に行ったEバイクさんぽについて書いておきます。

この企画で何を伝えたいかをずばり書いてしまいますね。
それは
・Eバイクの便利さ
・Eバイクの使い方と遊び方
・東京の文化的複雑性と楽しさ
・東京とEバイクの相性
です。

Eバイクが便利であることは言うまでもない気がします。しかし、まだまだ体験したことがある人も少なく、購入して楽しんでいる人も多くはありません。

都内をEバイクで走っていると、日に日に目立つ様になっているのは「違法Eバイクでフードデリバリーする人たちの急激な増加」です。2019年あたりはEバイクユーザーの増加を感じましたが、それ以降は増え方が緩やかになったように思います。これには単価上昇も一因として考えられますが、それ以上に一部の代理店側のやる気の無さとメディアの不同調により、ぼんやりした状態が続いているように思っています。

試してみても面白くないと思う人はそれはそれでいいと思いますが、今までの自転車を好きになれなかった人や自転車に馴染めなかった人によりEバイクによる自転車の再定義、あるいは再解釈が可能になるならば、実にすばらしい移動手段を手にすることができるのではないかと思っています。

以前にも同じたとえをしていますが、自転車を買う人や買おうと思う人より、車を買う人や買おうと思う人の方が何倍も多いのが現実です。自転車は年間160万台とか、あるいは100万台クラスですが、車は2022年でも400万台以上売れています。同じ金額を支払って得られるメリットや便利さは車のほうが上だからですが、自転車もEバイクのように便利さを増せば、できることが増えれば、もっと移動やレクに使ってもらえるはずだと思います。これは自転車の普及という意味だけではなく、東京に住む人の生活を豊かに緩やかにするために利用できると思うからです。その点、「Eバイクなら自分にも自転車が楽しく使える!」と楽しんでいただいたり、あるいは既存サイクリストもEバイクを積極的に楽しむこともできますから、Eバイクのマーケットの対象だと思われる範囲は、ペダルバイク(非Eバイク)よりも広いので、まだまだ自転車を楽しむ人は増やすことができると思います。

ここ10年くらいの間に、生活のペースやスピードはどんどん早くなっています。情報を処理するスピードが早くなり、処理自体も複雑化し、考えていることを邪魔をされることも多くなりました。自分を取り戻すための時間の確保を誰もが望んでいるように思いますし、それなしには本当に疲れてしまうと思います。ぼくは、モータリゼーションの導入とまちづくりを失敗した東京の街並みよりも、鉄道と自転車と徒歩でどこへでも移動できる東京の方が好きです。車は日本の基幹産業として大切でしょうが、住みやすいまちづくりをする場合には、車を減らして自転車を増やすなどすることが大切だと思います。

電動アシストサイクルやスポーツEバイクは体力的なハンデをカバーし、これまで自転車を利用することができなかったいろいろな方に自転車を利用していただくことができるようにします。中でもスポーツEバイクは、自転車を楽しく、爽快に、レクとして利用することができるので、単なる移動時間やつまらない移動時間を楽しみや一人の時間として提供してくれます。これは従来から言われている自転車で移動する場合に得られる効果と同じです。

状況は人それぞれです。体力、気力、精神力に時間など、それぞれの人が置かれた状況次第で、人力が最適な場合もあれば、Eバイクで最適化できる場合もあります。Eバイクはチートでもなければ、立派に自転車なので、ぜひ楽しんでいただければいいのではないでしょうか。ほんと、楽しいですよ。

東京はけっこう楽しい

東京には車が多く、路駐も多く、自転車で走りにくいと言われます。また、観光すると言ってもピンとこない人が多いことでしょう。地方の方や外国の方が浅草や上野に行くイメージだと思いますが、観光とは箱物や観光施設に行くことばかりではなく、「なんとなく偶然訪れてみる」のもけっこう面白いものです。わからないことやその場で感じたことはスマホで調べるようにし、謎を解明していくと、東京の中の新しい一面が少しだけみえてきたりします。

東京をひとつの大きな塊として捉えると興味はわかないのでしょうが、ジグソーパズルを組むような感じで少しずつ見ていくと、じつは様々な細かい模様があり、それがモザイクのように組み合わさっていることに気づきます。

たった2−300年の歴史しかない東京ですし、その間に2度も広範囲に火事で燃えてしまった東京なので、歴史が短い上にかなりのものが失われてしまったのは確かです。しかし、それでも残っているものもありますし、その痕跡も多少は残っています。あるいは地形からそれらを見出すことができるケースもあり、けっこう楽しいものです。

煩雑で巨大で雑多でどこまでも続く東京という街の中を、Eバイク(自転車)によって移動することで自分の時間や行動を取り戻したり、他の人とは独立した移動や動きを実行することで、自分らしいあり方を再び発見できるという期待をすることが自転車には可能です。

力がなくても、自信がなくても、ちょっと車が怖いと思っても、あるいは自転車がつまらないと思い始めている場合でも、Eバイクはあなたのサイクルライフの踏み台になってくれます。「ちょっとめんどうなこと」を「やってみようかな」というふうに変えてくれます。

ぜひ、次の自転車をスポーツEバイクにすることを考えてみませんか?


本郷はぼくが2000年代に努めていた会社があったところで、割と馴染みや土地勘のある場所です。春日通り沿いはマンションやオフィスビルが目立ちますが、路地に入ると古い町並みの雰囲気を感じます。上野広小路の交差点では、マンション建設予定地の場所には何があったのか、もう覚えていません。何だったでしょう?隣には、かの有名な『湯島ハイタウン』がみえています。湯島ハイタウンはなんと築50年を超えるマンションで、1970年竣工と、ぼくより歳上。住宅400戸、店舗40戸を数える複合再開発のご先祖様。住宅400戸がなんと1週間で完売したそうですが、その価格は手前のA棟が800−980万、B棟が480−880万。竣工した年の国家公務員初任給が3万円程度だった時代なので、超高額物件でした。A棟にはセントラルヒーティングシステムが備わっていたですが、B棟にはなかった。そこから生まれたのが、これまた有名な室外機の並びです。何の装飾もされておらず、質素に見えますが、当時は何もなく閑静な住宅街に建っていたタワマンのようなものは、当時は相当話題になったのでした。

関東大震災が起きるずっと前、江戸時代から火事が大変多かったことは、ご存じの方も多いと思います。当時の火の消し方は、焼けている建物を取壊して延焼を防ぐというもので、消火ではありませんでした。火消しが鳶と密接に結びついていたことを考えたり、あるいは城東地区に今でもある木材店の敷地の広さを鑑みると、なんというマッチポンプ(まさに)だろうと想像し、驚きますね。1、2枚目は、橋のたもとに作った本体は火除け地だったところ。当時は火除け地に屋台が出たりし、風俗(つまり全般的な意味での)が賑わい、そして役目を果たさないということで、今の使われ方を見ても、計画したことを最後までやりきれない中途半端さが東京の伝統芸という気がしてきますね。

3、4枚目は両国橋とかつて両国橋がかかっていた場所です。江戸時代には両国橋と駒形橋しかかけることを許さなかった幕府。しかし、木製の橋は何度も燃えてかけ直され、明治になって鉄骨による橋になりました。それがかかっていたのは4枚目の場所です。その後、3連トラスの両国橋が今の場所にかけられ、さらにさらに今の橋に架け変わっています。3連トラスの真ん中部分は、今も江東区にある南高橋として利用されています。5枚目、靖国通りの写真なのですが、後藤新平による復興案では、24間(44メートル)で当初の計画がされていたのですが、その後に緊縮され、20間(36メートル)になっています。当初はパリのようなアベニューを作る予定だったんですけどね…

この4枚は本郷あたりの写真です。鳳明館という有名な旅館があります。うろ覚えですが、コロナ禍には「作家なりきりカンヅメプラン」みたいなものがあったんじゃないかと思います。高名な作家は箱根や湯河原あたり、あるいは山の上ホテルなんてのは有名ですが、こちらもまあまあ良さそうな感じはしますね。当時は外出を自粛する人もいましたので、外に出ようとすると旅館の仲居さんに止められるというプランでしたw。4枚目の写真をみると、大きなビルがない時代にはいい眺めを楽しめたんだろうなあと想像できますね。

一枚目の写真、これは菊坂下から西片を見上げたものです。西片は空襲でもまったく焼けずに残った地域(2枚目)です。かなり高低差のある台地になっており、実際に行ってみると地形がよくわかります。お屋敷のあった地域が区画整理もされず残っているので、「え?これが個人宅なの?w」と驚くほど大きな家が多かったです。下々のものが済む地域の住民からしますとw、すごいなあと思ってしまいます。ただ、区画整理なしに道路幅が大変狭いので不便そうでした。電動アシスト自転車でも厳しそうな坂の上にあり、また車を所有数のはかんたんな地域でしょうが、道が狭く不便でしょうし、歩道が一切ないのでベビーカーを押したお母さんは後方を気にして歩いていました。東京の中でも区画整理を行うことができた地域は、いろいろな利用方法ができるようになったわけですが、このような地域はなんとも難しいものですね。

これも西片です。1枚目は当初は一軒だった敷地を複数に分割したのでしょうね。真ん中の車は奥の家の玄関につながっています。あるいは古い建物もありましたね。3枚目は同志会という学生寮だそうです。5.5万円/月で夕食付き!4枚目は文京区立誠之小学校、1学年に100人以上いる人気校なのだそうです。

白山にある中坂。すごい傾斜で25-6%ありましたw
距離は25メートル。上から眺めていると、下から幼児を後部座席に乗せた電動アシスト自転車を押し上げてくる女性が。「ここは大変ですね」と声を掛けると、「もう大変ですよ。すごい坂ですね。」とおっしゃっていたので、このあたりの方ではなかったようです。

お昼ご飯は喜三郎農場というお店で親子丼を食べました。卵かけご飯で有名なお店だと聞きました。

護国寺、雑司が谷の墓地にあるいろいろな人のお墓。大倉喜八郎、野間清治、ジョン万次郎、東郷青児、夏目漱石、永井荷風、小泉八雲。

これは東條英機の墓です。こんなところにあるんですね。大きな焼酎が供えて?ありました。処刑されたA級戦犯7人の遺骨は、海に撒かれたと言われていますが、その一部を入手した人が愛知県の殉国七士廟に埋めたとされています。ゆえ、ここには遺骨はないはずです。この墓は遺族によるものなのか、あるいは別の方が作ったのか、わかりません。彫られいる文字も判別不可能でした。家紋のような紋章は何の意味なのでしょうね。

墓地と言えば猫。神社にもいますね。

青山まで行く予定だったのですが、時間が足りず断念をして帰りました。外濠公園で散歩をし、靖国で甘酒を飲んで休憩しました。

今回のパートナーは「MERIDA ePASSPORT CC 400 EQ」です。

パワフルなユニット、安心してどこでも走れるタイヤ、乗り降りしやすいフレーム形状、しっかりしたフレーム剛性に、充実の装備など、もうこれを買えば完璧です。

シティライドにも最高ですし、林道を走ったり、ツーリングも楽しめる万能なEバイク。身長の低い方でも乗れます。