この記事は約 4 分くらいで読めます
歩道を走る自転車が怖い
歩行者として歩道を歩いていると、前方や後方から迫ってくる自転車を怖く感じたことがありませんか?
特に、自分との相対的な速度差が大きい場合、さらにその速度差を変えないまま近づいていくる場合、近づくにつれて恐ろしさが増します。衝突した場合の衝撃が大きいだろうという恐怖も感じますが、その衝撃がかなりのものであることと、それによってもたらされる被害の大きさについてまったく想像することを拒否した運転者の考えに対する怖さとの両方を感じます。
明らかに時速20キロを超えて近づいてくるケースに関しては、運転者の目を見ますと、けっこうな割合で強い意志を感じるほどキマっていることが多いので、「あーこれは来るな」とわかります。子乗せに子供を乗せているケースに関しては、電動アシスト自転車+成人体重+子供体重という総重量100kg以上の重量物が一体どのくらいに衝撃をもたらすのかを理解されていない様子なので、大変なことだなと思います。
むしろ、ぼくが子供と並んで歩いていることに対して、「邪魔である」とジャッジしているのでしょうし、そういった正義感を伴った力の行使がもっとも厄介で恐ろしいものだと思います。歩道ですからね。歩道で歩行者が広がって歩いても、法的にも倫理的にもなんの問題もありませんし、自転車は自転車を降りるか、車道を走行するべきという以外にありません。
法律について書いておきます。自転車で歩道を通行する場合は、徐行しなければなりません。歩道の普通自転車通行指定部分を通行中に歩行者がいない場合は、すぐに徐行に移ることができるような速度で進行することができます。その場合の徐行とは時速8-10キロをさします。例えるなら、ゆっくりしたランニング程度です。つまり、歩道上において自転車はランナーを追い抜けないようになっており、法律の指す目安としては、妥当性があると思います。
広いほうがいいのか、狭いほうがいいのか
下の写真は、左が曳舟川通り(東向島6丁目付近)、右が本所4丁目の路地のそれぞれの歩道の写真です。何が違うかというと、歩道の広さが違います。
子供と二人で歩いてみますと、歩道が広い場合には対向あるいは後方から追い抜く自転車の速度は速く、ほぼ減速する意思を見せずに走り抜ける様子がたいへん多く感じます。ぼくの側でも、子供の側でも、違いはなく、速度を落とす様子はかなり稀です。
一方、歩道が狭いケースに関しては、まったくスペースがないため、ぼくらの側方を無理して通過せず、車道へ出て走行する様子がかなり多く見られます。ただ、それによって車道を逆走されるケースに関して、運転者の思慮の浅はかさは感じますが。
こうして考えてみると、広い歩道は車道をクルマに明け渡すために自転車を歩道へ閉じ込める意思があるようにも感じます。結果として、本来の主役である歩行者が歩道の中で危険な目にあったり、追い込まれたりしてしまうのは本末転倒でしょう。むしろ、歩道は歩行者や車椅子などの利用者が通れるくらいに設計し、車道の路側帯を広く確保するなどし、歩道から自転車を締め出し、全面的に歩行者に返すべきでしょう。性善説でいえば、「歩道上では必ず減速し…」と法律に記載してあればいいように思いますが、実際には守られませんし、その結果が現在です。
自転車は歩道を走ると危険でしかない
自転車が歩道を走る場合、歩行者に危険をもたらすという意味で危険です。また、交差点においてクルマから見た場合に、視認される確率が下がりますし、認識されてから衝突するまでの時間が短いためにたいへん危険です。ですから、基本的車道を走るよう法律として記載されています。自転車で走行する場合には、自転車に乗る自分自身と歩道を利用する歩行者を守るために、車道を走行しましょう。
なお、ご存知でない場合があるかも知れないので記載しておきますと、「歩道上で自転車と歩行者が衝突するなどして事故になった場合、いかなる場合でも100%自転車側の責任が問われる」ことは、すでに地裁の判例として出ていますので、歩行者がスマホを見ていようと、並んでいようと、座っていようと、どんな気に入らない行動であろうと、それに対して自転車は攻撃的な行動をするべきではありません。相手を自分の恣意的な正義に照らし合わせて正そうと思ってはいけません。それは自分自身を損害賠償という大変な責任問題へ追い込むことにしかなりませんし、法的にも正しくありません。相手に怪我でもさせただけで大変なことですし、もし後遺症が残るようなことがあれば、一生をかけて責任を果たしていく自体になってしまいます。自転車では車道を走行しましょう。