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コラム「スキルアップは大事」

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知らない人が乗る自転車の後ろに追いついてしまい、そのまましばらく走らないといけない場面に遭遇することがあると、技術のなさに驚くことがある。クルマでもオートバイでも同じことはあれど、自転車は挙動が分かりやすいし、教習等を経ないので全体にレベルの低さは気になってしまう。とはいえ、免許制にすべきとは絶対に思わない。なぜなら利用者が減るからです。利用者の多さは政治的な力になります。自転車は今以上に利用者を増やすことでしか、その先の地位を獲得し続けることはできないと思います。

自分を守るための技術向上に対する気持ちと、速さや効率ばかりでなく安全に走るための考えは大切だろうと再認識する機会となる。さっきもほんの400メートルくらいの区間しか後方にいなかったけど、「追い抜く方は気を使うなあ…」と感じた。本人はそれで問題ないと思っているので、そのような人と事故を起こすと大変だろうと想像し易い。恐らく、結論ありきに自分は悪くないんだと主張する可能性が高いだろうから。もちろん、その上でいろんな人が利用するのが道路であることは承知しているけれど、さらに電動キック勢が加わった現状にはいささか気が滅入ることです。

道路上では「危なっかしい挙動を見せたら近づくな」ということでしか対応できないし、それに尽きるところではある。道路以外でも「危ない人がいたら逃げる」のと同じことだろうと思う。クルマと同じく、価格が高い車両に乗る相手には特別気を遣いますよね、いろいろな意味で。揶揄するという意味ではなく、実際問題としてお金を持っている人は社会的地位も高いことが多いわけで、そういう相手と事故を起こした場合には自分が損をする可能性が高いだろうことを想像しやすいからですね。

まあ、きっと自分もある程度はそういう目で見られる機会はあるんだろうなあとも想像しつつ、いつも走ってます。

思い出したんですけど、以前ショップチームジャージを作った際、希望するメンバーの走り方を指導したり、スクーリングしたことがありました。ただ、大半はレース等の目的意識がなく乗る人だったから、ぼくに対して「気に入らない」となりました。「ジャージが買うものであるなら、どこで着ようとどんな走りをしようと自由」という人まで現れたので、もう無理だなと思ってジャージ製作は止めました。最近はショップジャージを着る意味について理解され始めたようですが’、SNS元年の頃の方がむしろ自由勝手な意見に押し切られることは多かったと記憶してます。

今は、またスクーリングを再開してもいいかなとは思っています。時代が変わってきたので、やり直してもいいかもなという気持ちです。ただ、ぼくが若い頃にはスクーリングはなかったし、ふつうに前を走る人をみたり、会話の中からヒントを掴んだりしていました。SNSではできないことであるのはもちろんだけど、会話するお互いが距離感を詰めるリスクに対してどう考えるかは影響が大きいと思います。「言ってはいけないことをある程度言うリスク」に対してお互いが寛容であることを許さない場合、「気に入らないやつ」だとレッテル貼りされてしまうんだと思います。〇〇ハラ的な認定の種別が増えた今、お互いを理解できない相手に教えることはかなり難しいだとは思います。ある程度理解しあえる間柄になれるかどうかというテストをしつつ会話するのは以前から同じではありますが、SNSがある以上、そちらへの影響ということが教える側の立場を常に危うくさせるのは、教員という職業に関するさまざまな状況をみてもわかるのではないかと思います。