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昨年11月に来日
昨年11月にドイツにあるメリダの開発拠点「メリダ R&D」から、主要なスタッフ3名が来日しました。目的は日本の代理店やショップとの情報交換やシマノ本社への訪問などで、そのついでに日本の市場調査も兼ねて訪れました。
前回の記事はこちら(MERIDA R&Dセンターのスタッフが来日 その1)
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まずこれを読んで欲しい
20店舗くらいのオーナーやスタッフが参加しましたが、各店舗の記事やSNSには中身を詳しく報じるものはありません。
もっと詳しいのはシクロワイヤードさんの記事かと思いますので、まずはこちらを読んでいただきたいです。
たいへん良い記事で、メリダの今を具体的に、その前後を含めつつ表現されています。
メリダの開発トップに聞く、ブランドの躍進と製品に注ぐ情熱(cyclowired.jp)
ヨーガンの死
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まず避けて通れないのは、前GMであるヨーガンの死でしょう。ヨーガンは、メリダが欧州へ進出した際のキーとなった人でした。彼の存在なしに現在のメリダの欧州での評価は得られなかったでしょうし、「質実剛健さと性能を両立するメリダ」を作り出したメインキャストです。
メリダファミリーの大切なピースであり、友人であったヨーガン・ファルケが、2024年6月13日、61歳の若さで、短期間の重病の末、あまりにも早くこの世を去ったことを、深い悲しみとともに知りました。ヨーガン・ファルケは、MERIDA R&Dセンターの元CEO兼製品責任者であっただけでなく、その創造性、先進的な姿勢、そして「自転車」に対する愛情によって、20年以上にわたってMERIDAブランドを根底から形成してきた先見の明を持つ人物でもあります。
彼はぼくがメリダファミリーに加わるにあたって、重要な存在でした。ブリヂストン時代に来日したこともありました。ヨーロッパや台湾で何度も彼に会えたことは、ぼくの人生にとって多大な影響を受けました。2012年から関わり始めたぼくとメリダとの関係は、常にヨーガンとともにありました。ぼくがマヨルカ島での製品発表会に参加した数年間、ロードもMTBもEはバイクも、常にプレゼンターはヨーガンでした。ぼくだけでなく、多くの人が「メリダのバイクはヨーガンが作っている」という認識が強かったのではないかと思います。当時からメリダR&Dにはそれ以外のスタッフも働いていましたし、今の体制と規模の面で大きな変化はありませんが、ヨーガン以外のスタッフを知りませんでした。今思えば、2018年に今回来日した元GMのベンジャミンが他のスタッフ数名と初来日したというのは、その先のいまに至る自体を予測してのことだったのかにしれません。
新しいメリダ
ぼくはとても心配していました。「メリダはヨーガンが作り、ヨーガンが語っていた。そのヨーガンがいなくなってしまった。次のメリダは誰が作り、誰が語るのか。変わっていくのか、どうなのか…」と。2018年以降にコロナ禍が挟まってしまったため、2019年以降の自転車開発は”完全に”止まってしまっていました。もしかするとみなさんは、「今はPCがあるし、ネット会議も可能だし、移動を止めても仕事は続けることができるだろう」と思われたのではないかと思います。しかし、現実は違いました。
ここ1年ほど、「ネット会議だけでは仕事が進まない」ということが認識されはじめ、リアルの重要性が意識し始められました。メリダR&Dには約20名の開発スタッフがいます。GMであるベンジャミンを筆頭に、その下で働くスタッフはみな若く、新しいアイデアをたくさん持ち、たいへん意欲に溢れています。彼らがデザインし、エンジニアリングを行った設計は、台湾本社にいる台湾人エンジニアに伝えられ、そこで「メリダらしい製品としての実現可能性」に則って改善されます。想像に容易いと思いますが、違い人種の違う文化の中で育った人びとが、同じサイクリストであるとはいえ、1つの製品を作っていくためにはさまざまな課題があります。
開発プロセス
ベンジャミンいはく、「台湾にいるエンジニアはとても素晴らしい技術的バックボーンを有し、経験も豊富で信頼できる上に素晴らしい英語の話者でもある。しかし、とても保守的で、年齢は自分たちよりも上であるし、なかかな”話が通じないケース”があるし、そのためにイライラすることもあるよ。でもとても上手くやっているし、上手くコミュニケーションできている。」とのことでした。とてもわかり易い状況です。おそらく台湾側のエンジニアは50代を中心とし、今の欧州進出後のメリダではなく、台湾ローカルなメリダを作ってきた人びとなのでしょう。先進的な教育を受けたドイツ人の若いエンジニアと通じ合わないのはわかりそうです。そこでベンジャミン達は台湾へ定期的に行き、実際に話しをするだけではなく、彼らとできるだけ多くの時間を共有することにしました。日本では、仕事上の”付き合い”を悪であるとする傾向もありますが、やはり一緒に過ごす時間がある程度はないと、相手のことを理解することはできないと思います。大事なことだと思います。
コロナ収束(便宜上の言い方)以降、R&Dのスタッフは少なくとも年に3〜4回ほど台湾本社を訪れ、自分たちがウェブやメールを介して伝えてきた内容が伝わっているかどうかを確認することにしました。今回の来日も、主目的は台湾でした。日本に来る場合、開発スタッフも選手の場合も、ほとんどは台湾に来るついで、です笑
ばかみたいだなと思う人もいるかも知れませんが、これが現実だと思います。「最後は人間だよね」というように、人間同士の会話なしに物事を進めることはできませんし、お互いの納得や理解を進め、継続していくためにはネットだけでは不足だと思います。しかし、問題はそのコストだということです。「他のブランドもそのくらいやっているだろう。メリダだけが特別ではないはず。」と思う方は多いと思いますが、残念ながら現実はそうではありません。ぼくが知る限りでは、2012年当時でも台北ショーや台北バイクウィークの際に会うだけというブランドがほとんどだと聞いています。「自社生産はよいこと」だという言葉は表面上伝わっていると思いますが、その意味は開発過程のすべての段階で大きく影響し、「自分たちが作りたいものを作る」ためにたいへん重要であり、欠かせない要素なのです。その意味では、台湾本社内にセクションを作って動かしているスペシャライズドのバイクがよく評価されやすいのは納得できると思います。なお、台湾本社内では別々に機能していますので、メリダR&Dのスタッフが他者の設計やノウハウを知ることはありません。
メリダらしい設計とは、外形上や目立ちそうなことにとらわれず、堅実で無骨だと揶揄されることを恐れず、常にライダー本位のバイクを作り続けることです。現在、次世代のREACTOの開発が進められていますが、その形状は「あまりユニークなものにはならないだろう」と言っていました。エアロ形状がコモデティ化する中では、「同じような形状で、軽くて、安いものが良い」というかんたんな理解も広がる中では、お店の人も含めてユニークな形状を安易に求めがちです。しかしながら、自転車の設計はそんなかんたんではないんですね。設計の際の取捨選択の難しさはたいへん気を遣いますし、それこそ開発の要になります。最初に申しああげましたように、メリダはそれに2年を費やします。ジオメトリが決定され、型が決まり、カーボンの積層をいかにして設計するかに長い時間とコストが掛かっています。メリダ未満の小規模なメーカーが製品を安く作るにはその過程を省略する必要があります。
「UCIの規則の中で進めることは必要であるし、私たちはメリダなので、伴ってついて回るリスクとのバランスを大切にしている」ということでした。その一部の写真を見せてもらいましたが、その全貌が見られるようになるのはもう少し先になるかと思います。ぜひ、REACTOのメリダらしい進化にもご期待下さい。
若さとの融合
そうして、時折むずかしい段階を経ても、メリダR&Dの若いアイデアは、メリダの製品として出力され、私たちやみなさんの手にわたるに至ります。ぼくはベンジャミンとステファンに(ハネスは寝てしまったので笑)こう訪ねました。
「あなた達はエンジニアとして、なぜメリダに入ったのか。ぼくが知る限りでも、ドイツにはもっと優秀で大きな企業がたくさんあるし、ドイツの自転車メーカーもあるでしょう?笑」
と。すると、間に髪をいれず2人は同時に答えました。
「Passion!」
ぼくは驚きました。まさかドイツ人からパッションという言葉を聞くことになるとは、と笑。
わかりやすくいえば、彼らはメリダが好きなのです。ステファンが最初に買った自転車はメリダだったそうです。ベンジャミンはヨーガンがGMの時代からメリダに加わりました。メリダはヨーガンの死という大きなイベントを経ても、ベンジャミンが以前のメリダとそれ以降のメリダをつなげ、新しい才能を開花させ、次の製品を作っています。なお、時系列的に振り返りますと、現在のREACTOが過渡期にあたり、SCULTURA以降、SCULTURA ENDURANEやSILEXは、ベンジャミン時代のメリダだと言えます。そのあたりから、製品づくりと製品から感じるものがなんとなく変わってきたと感じていたのですが、その謎が解けました。
今回のプレゼンテーションでも、メリダR&Dのスタッフがバイクに乗る映像(下の動画もその1つ)が多く使われ、特にMTBでそれを感じました。これまでメリダのMTBはレースイメージが強いものでした。レースを引退しても、アンバサダーとしてのホセやガンリタの役割を大きくしていました。また、ヨーガンはトライアスリートでしたので、MTBに関しては選手と元選手の意見を最重要視していたという背景もあるでしょう。メリダのラインナップの中では、REACTOとSCULTURAだけがレースバイクです。それはまさに、自転車の今の状況をよく表しており、メーカーとしてのアピールもレースはレースとしてありつつも、分けて考えていくのは必然であり、それをメリダR&Dはよくわかっているということだと思います。
ライダーが作るバイク
現在のメリダはブランドの開発スローガンとして「Rider driven R&D」も掲げるようになりました。以前のブランド力がなく、レースに頼っていた、あるいはレースでの成績こそバイクの売上に響いていた、そんな時代は終わり、現実の世界に存在するいろいろな国や地域のさまざまなタイプのライダーの評価が大事な時代になりました。ベンジャミンは元ロードレースの選手でもありましたが、サイクルサッカーのドイツ代表にもなったことがあり、MTBも好きという、どんな自転車でも乗る開発者。日本人はとくにセクショナリズムが強い文化ですが、ドイツ人の彼らはとても自由で、ジャンルにとらわれない発想を持っています。そこから生まれのがSCULTURA ENDURANCEであり、今回のSILEXでもあるでしょう。
多くのメディアやライダーはあるジャンルに限ってバイクを比較することに慣れていますが、ブランドを縦のラインで理解するという、よくクルマやコンピュータ製品でされるような理解をすると、総合メーカーである意味、強みや目標とともに、メリダブランドへのより深い理解を得て頂けるのではないかと思います。
わかりやすく言えば、「メリダを語るのに、REACTOかSCULTURAか」で語ろうとする人は、メリダのほんの一部しかわかっていないし、伝えることができていないということです。
この記事にその3があるかどうか、いまはわかりませんが、最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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